一ヶ月の長きにわたって行なわれた世界大会、第二回エンジェルウィング・チャンピオン・カーニバルも、いよいよ残すは決勝の二試合のみ。 *a1

まずはタッグの決勝、その翌日がシングルの決勝。

どちらも他の大会参加者たちによる多数のエキシビションマッチが華を添え、会場の、そしてＴＶの前の観客たちは、興奮の中でメインイベントの決勝戦を迎えることになる。

「ねえ、千種。 私たちって、まだまだ全然、弱かったよね」

唐突にかけられた武藤めぐみの言葉に、結城千種は驚きの顔で振り返った。

「弱い」などと、あのめぐみが言うのは極めて珍しかったし、そもそも、およそタッグ決勝戦直前の控室で言うべき言葉ではないだろう。

しかし、何より千種が驚いたのは、

「……なんか、うれしそうだね、めぐみ」

めぐみの言葉が言葉の内容とは裏腹に、とても楽しげで嬉しげなことだった。

「失礼ね、うれしいわけないじゃない。
優勝するつもりだった私も、私に勝った千種も、シングルでは決勝にも残れなかったのよ。 悔しいに決まってるでしょ？」

と、さらに楽しそうに言うものだから、千種は首を傾げるしかなかった。
めぐみは浮かせた足をブラブラさせていたが、言葉を終えると、小さな掛け声とともに跳ねるように椅子から立ち上がった。

「私たちは二人とも、それぞれがもっともっと強くならなくちゃ。
そうしないと、世界の頂点を獲って世界を変えるなんて、できっこないもんね。
ただ……」

めぐみが、自分の方を見た。
それだけで、千種の口からは、自然と今言うべき言葉が出てきてくれた。

「ただ──タッグなら、できる。
二人が揃うタッグなら、今だって世界の頂点に立てるはずよね。
……って、思ってみたんだけど。 めぐみ、違うかなぁ？」

最後に少し弱気を見せた千種に、めぐみは苦笑しながら肩をすくめた。

「ま、違わないかな。
なんたって、私たちが揃えば、シングルの五倍の強さだもんね？」 *a2

「五倍の強さなんかじゃないよぉ」

不服たっぷりの声に、めぐみは少し驚いた表情を千種に向けた。
千種はそれを茶目っ気入りの微笑みで見返して、一言。

「無敵だってば！」

「オーッホッホッホ！　準備はよろしいですわね、千里さん！」

「はい」

タッグ決勝戦のリングインまで、あと数分。
桜井千里は立ち上がると、タッグパートナーのビューティ市ヶ谷に頷きを返した。

とかく傍若無人に独自路線を貫く市ヶ谷は、試合前でもめったに所定の控室では準備をしない。
タッグ戦の前でもそれは同じで、パートナーとの合流が試合直前になるなど、ざらだった。 千里も何度となく経験している。

しかし、この大会に入ってからというもの、市ヶ谷はタッグ戦の前に必ず控室で千里と一緒の時間を過ごすようになっていた。
その理由は、聞いていない。 尋ねてさえもいなかった。

「今日こそが、世界一のタッグを決める晴れの舞台！
あの忌々しい祐希子ですら辿り着けなかったこの舞台に立ち、そして勝ち名乗りを上げるのは、この私・ビューティ市ヶ谷が最もふさわしい存在というもの！
もちろんタッグですから、貴女にもその栄光を共に享受させてあげますわよ、千里さん！」

「……市ヶ谷さん」

「あら、なんですの？　千里さん」

「私は、あなたのそういうところが、大嫌いでした」

「！！？」

さすがの傍若無人で独自路線、さらに傲岸不遜で厚顔無恥な市ヶ谷も、言葉を失った。
まさか、世界大会決勝の直前にこんな告白をされるなど、誰も思いはしないだろう。

「そうでなくても、タッグというのはもともと好きではありません。 *a3
だから、タッグを組むというお話をいただいた時も、乗り気ではなかったんです。
NAタッグのベルトを取ってからも、それは同じでした。
ただ……」

千里は、市ヶ谷を見つめた。
今から少し前、めぐみから同じ言葉を受けた千種は、パートナーの意図を読み取れた。
市ヶ谷にそれはかなわず、しかし決して目を逸らすことなく、千里を受け止めた。

「ただ──過去形です」

市ヶ谷の目が、見開かれた。
言葉ではなく、千里が深々と下げた、その頭に。

「私は今、あなたとタッグが組めて、良かったと思っています。
あなたとでなければ、私はここまで来れなかった。 タッグでも、そしてシングルでも。
だから……すみませんでした。 そして、ありがとうございます、市ヶ谷さん」

「──馬鹿馬鹿しいですわねっ！！」

市ヶ谷の大声に、千里は顔を上げた。
その眼前で髪を一度かきあげてから、市ヶ谷はびしりと千里に指を突きつけた。

「ありがとう？　それが今この場で言う言葉ですの？
あなただけでなく万人がこの私に感謝しまくっていることなど、とうの昔から知っていますわ！
ですが、そんな表明は試合が終わってからになさい！
そう……試合に勝ってからに！」

「そうですね……その通りです。 すみません、市ヶ谷さん。
今日は勝ちましょう。 あなたと私の、二人で！」

「わ、わかればよろしいのですわ、わかれば！
それでは、行きますわよ、千里さん！！」

どことなく上ずっている声を残して、市ヶ谷は大股で控室の扉を開けた。

	「世界一の称号、この私たちがいただきます！」 「相変わらず寝言がお好きなようですわね、結城さん！ その夢、とっとと醒ましてさしあげますわ！」 「武藤、結城……あなたたちとは一勝一敗。 次は、勝つ！」 「何度やったって、私たちは負けないわ！」

新旧 NA世界タッグ王者の対決となった、タッグ決勝戦。

現在ベルトを保持するのはめぐみと千種の側だが、それは必ずしも、前王者が現時点で劣ることを意味するものではない。 *b1
少なくとも、劣っているとは露ほども思っていない人間が、今まさにリングの上にいた。

「この技でマットに沈めることを、光栄と思いなさい！」

さすがに決勝戦。 堅い動きの慎重な立ち上がりから始まった今回の試合を動かしたのは、やはりというか、市ヶ谷のビューティボムだった。

「オーッホッホッホ！　緊張だの慎重策だの、天才たる私には無縁のものですわ！」

「天才ですって？　そんなの、千種一人で十分よ！」 *b2

市ヶ谷の高笑いは、めぐみの緊張をもほぐしてしまったのか。
めぐみ得意のラッシュが、市ヶ谷に傾いた勝負の天秤をわずかな間に戻し、さらには自分の方へと傾けていく。

「それも、ここまでのこと！」

代わった千里のハイキック、そして市ヶ谷とのＷドロップキックが天秤の傾きを再び変えて、しかしめぐみもドラゴンスリーパーで反撃。 すかさずタッチした市ヶ谷が、代わり際にＷラリアートでめぐみを打ち倒す。
二転三転する展開に、観客たちも手に汗を握って試合の行方を見守った。

「私もいるって、忘れてませんか！？　市ヶ谷さん！」

粘りに粘っためぐみの後を託された千種が、中盤戦の主役となった。

得意の投げ技で市ヶ谷を押し切ると、タッチした千里には打撃で攻められるもバックドロップを喰らわせて、シングル準決勝の借りを返しにかかる。

「千里さんは明日もあるんですよね！　だから、早めに寝ちゃってください！」

「あらあら、千里さんにそんな心遣いをするのでしたら、さっさとあなたたちが白旗を上げればよろしいのですわよ！」

タランチュラにサソリ固め、再度交替した市ヶ谷が珍しく関節技を続けて千種を痛めつけると、

「市ヶ谷さん！」

「これで終わりにしますわよ！」

千里を呼び込んだ市ヶ谷のダブルインパクトが、揺れ動いていた勝負の天秤を一気に跳ね上げた。
そのままフォール体勢に入り、レフェリーのカウントが一つ、二つ、そして──

「そうはいかない！　千種っ！」

間一髪間に合った、めぐみのカット。
そのままタッチにこぎつけると、フェイスクラッシャー二発が、今度は市ヶ谷の肩を2.9までマットに押さえつけた。

「武藤！」

振り向いためぐみを千里が捕らえ、そのまま市ヶ谷とのＷパイルドライバー。
交替から千里はエクスプロイダー、そして不知火につなげ、めぐみの体力を根こそぎ奪い取ってから、がっちりと身体ごと肩をマットに押さえつける。

「レフェリー、なにをやってますの！　早くカウントを！」

「そうはさせません！」

市ヶ谷の妨害を押しのけて、今度も間一髪、千種のカットが間に合った。
身を起こした千里を何とかソバットで振り切って、めぐみは千種に全てを委ねた。

「勝ちます！　これが私の──私とめぐみの強さなんです、千里さん！」

ここで決まった、二発めのバックドロップ。
しかし千種はフォールに入らない。
そこが千種の甘さだと、千里はすかさず反撃に出ようとするが──

「この技で、決めます！！」

それは、シングル準決勝で、千種が千里に敗れた技。

ノーザンライトスープレックスが千種にシングルの借りを返させるとともに、世界一の、金メダルの栄光を、千種とめぐみにもたらしたのだった。

×	桜井千里	(49分09秒　ノーザンＬスープレックス)	武藤めぐみ
	ビューティ市ヶ谷		結城千種	○

「おめでと、千種！　私、最後は千種が絶対勝ってくれるって信じてた。 ホントよ？」 *b3

「めぐみこそ、おめでとう！　ね、お祝いは何がいい？　今日は何でもしてあげるよ！」

舞い落ちる祝福の紙吹雪と、万雷の拍手の中で。

二人は自分を世界一にしてくれた最高のタッグパートナーを、はじけるような笑顔でいつまでも抱きしめあっていた。

「はーい。 もしもし、祐希子ですけどー」

第二回エンジェルウィング・チャンピオン・カーニバル、シングル決勝戦──その前夜。

選手宿舎にかかってきた電話に出た時、祐希子は誰からの電話かを聞かされていなかった。

取り次いでくれた団体秘書の霧子に訊いても、同じ電話に出ていて祐希子と入れ替わった千種とめぐみに訊いても、「出ればわかります」と楽しそうな笑顔を見せるだけで、相手の名前は答えてくれなかったのだ。

そのため、

『よっ。 久しぶりだね、祐希子。 元気してたかい？』

という第一声に聞き覚えは感じたものの、相手の名前までは思い出せなかった。

「あのー、すみません。 どなたでしたっけ？」

『………………』

電話の向こうで絶句したらしい相手に、うわーさすがにまずかったかなぁ、と思ったのも一瞬。

『くはははっ！　ったく、相変わらずみたいだねぇ。
ってゆーか、霧子さんもタッグ金メダルの二人も、意外に人が悪いってことかな？』

豪快な笑い声からの特徴ある物言いに、祐希子も今度こそ相手の名前がわかった。
驚きと歓喜とともに、その名を受話器に乗せる。

「葉月さんっ！　葉月さんじゃないですか！」

『ほい、ご名答。 やれやれ、忘れられてなくてよかったよ、ホント』

溜め息の中にも楽しそうな響きを忘れない声の主こそ、三年近く前に引退してから海外を渡り歩いている WRERAの大先輩、六角葉月だった。 *c1

しばらくの間、二人はお互いや WRERAの仲間たちの近況を伝えあった。
その話は、いつしか自然と世界大会のことにシフトし、そのまま本題──明日のシングル決勝戦の話題へと変わっていく。

『しっかし、世界の頂点を決める決勝戦が、あんたと千里の顔合わせになるなんてねぇ。
九年前、リングで手合わせさせたヒヨッ子たちがさ』

葉月の感慨深げな言葉に、祐希子もまた、九年も昔のことを思い出した。

祐希子が千里と出会った、WRERAの入門テスト。 *c2
『実戦』を希望したテスト生の千里をデビュー間もない祐希子が迎え撃ち、掌底の一撃をもらいながらも千里を失神 KOしたことが、つい昨日のことのように鮮明に浮かび上がってくる。

その『実戦』を渋りながらも許可したのが、入門テストの進行を任された葉月だったのだ。

『私ゃ、あん時から予想してたね。 今日と言う日が来るのをさ。
……なんて言えたら格好いいんだけど、はっきし言って、思いもしなかったよ』

「あはは。 あたしはちょっと、予想してましたよ」

『またまたぁ。 あんた、そんなにお調子もんだったっけかい？』

「ホントですってば。 そりゃあ、こんな大舞台のことまで想像してなかったですよ？
でも、あの時から思ってました。 この子は……桜井ちゃんは、強くなれるって。
あたしはもちろん最初からトップ獲る気でしたけど、油断したら、桜井ちゃんに先越されたり追い抜かれたりしちゃうかもって。
だから、あたしも負けてらんないなーって、そう思ったんです」

『へぇ。 それじゃ、あんたがそこまで強くなったのも、千里のおかげってことかな？』

「あ、やだなぁ、葉月さん。 それはあたしの実力ですよ、実力」

『はは……、言うと思ったよ。 ま、あんたはそうじゃなくっちゃね。
で──明日はどうなんだい？』

わずかだが確かに声を低くしての、葉月の問い。
それを受けた祐希子は、一瞬だけ首を傾げた。

「はい？　どうなんだ……って、試合のことですか？
それなら、あたしが勝って優勝。 大会二連覇しちゃうだけですけど？」

『……相変わらず、ホントにサラッと言うね、サラッと。
あんたが見込んだ「桜井ちゃん」が、ホントに強くなって立ち塞がってきたわけだよ？
それも、出会った時の失神 KOの借りに、何度かの NA王座戦の借りに、タッグ戦決勝で負けた悔しさまでくっつけて、リングに上がってくるだろうに。
それでも……あんたは、勝てるのかい？』

「あははは。 あったりまえじゃないですか、葉月さん」

祐希子の笑い声に、葉月は黙って続きを待った。
もしかしたら、彼女は正確に、次の言葉を予測していたのかもしれない。

「あたしを誰だと思ってるんですか？　マイティ祐希子ですよ！」 *c3