「復讐……って?」
ようやく札幌にも桜の声が聞こえるようになった、5月の初旬。 WRERAの事務室。 *1c
WRERAの社長は、武藤めぐみが浮かべた当惑の表情を見て、自らもそれに上回る当惑の表情を浮かべた。
「……違うのか? そうなら止めようと思ったんだが。
いや……ちょっと待て。 整理しよう。 お前が直談判しに来たのは、スレイヤーさんに殴りこんで NJWPの防衛戦をやりたい、そういう話だったな?」
「うん。 そうよ」
「その相手にはライラ神威を指名する、と。
そしてそのライラは、お前が一年半前の対抗戦で負けた相手だ。
そうだな?」
「うん。 それも、ただ負けただけじゃなかったわ。
試合の後に大ケガ負わされて、病院送りにさせられたのよ。
しばらくは、夢に見て夜中に飛び起きるぐらい、ショックだったんだから」 *2c
「……それでも、復讐のつもりは無い、なのか?
言っとくが、リベンジってのも復讐って意味だからな?」
「ちょっと、それはズルくない?
負けたんだから、さすがにリベンジしようって気持ちくらいはあるわよ。
でも、それだけ。 あの人には、むしろ感謝してるくらいかな」
この言葉には、さすがに社長も驚いた。
「感謝……だってぇ?」
「そうよ。 あの頃の私は、天才とか次期エースとか呼ばれ始めて調子に乗ってた。
天狗になってたその鼻を、ガツンと見事にへし折ってくれたのがあの人だったもの。
おかげで、悔しくってひたすら練習に打ち込めたしね」
本当に鼻の骨を折られなくて良かったけど、と付け加えためぐみに、笑えない話だよ、と溜め息をついてから、社長は改めて訊いた。
「じゃあ、なんでライラを指名するんだ? 負けた相手なら他にもいるだろうに」
天井を見上げてそう言ってから、視線をめぐみに戻して──社長は思わず身を引いた。
「──言ったでしょ? 夢に見て夜中に飛び起きるぐらいショックだった……って」
気圧されたのだ。 静かに激情をたたえる、少し紫がかったその瞳に。
「今でもそのショックは、私の中に残ってるの。 どうしようもなく深く暗いトコに。
社長、私はね──あの人が怖いのよ」
「……それなら、尚更……」
「そうよ。 ホントは、一番戦いたくない相手。 できれば二度とゴメンだわ。 でもね……」
めぐみはそこで、まぶたを閉じた。
息を深く吸い込んでから、もう一度目を開く。
その目を見た時、社長は不意にもう四年も前のことを思い出した。 *3c
あれは確か、祐希子がパンサー理沙子に──
「──だからこそ、私はあの人と戦わなきゃいけないの。
そうしないと、私は先に進めない。 そんな気がするから……」
「武藤……」
「社長、だから、私をスレイヤーに──」
「……社長!」
めぐみが再び自分の願いを口にしようとしたとき、事務所のドアが開いて、秘書の霧子が急ぎ足で入ってきた。
明らかに話し中だっためぐみに気づきさすがに申し訳なさそうな顔を見せたものの、社長に促されたこともあって、報告の義務を優先させる。
「たった今、スレイヤー・レスリングから申し出がありました。
WRERAの今月興行に、三人の若手選手を参加させたい。
ついては、それぞれにタイトルマッチの機会を検討してやってほしい、と」
「……その三人というのは?」
「はい。 村上千春選手、メロディ小鳩選手、そして……」
「──ライラ神威選手」
めぐみの予言めいた割り込みに霧子は驚き、しかし、手にした紙を確認すると、肯定の意味で首を縦に振った。
「手間が省けたわね」
それが自分に向けた言葉かは判断がつかぬまま、社長は大きく息を吐いて、窓の外を見た。
天気は決して悪くなかったが、風の冷たさまでは、これも判断がつかなかった。
── 5月シリーズ最終戦、セミファイナル。
王者・武藤めぐみ自らがライラ神威を挑戦者に指名した NJWP王座戦は、一年半前の“遺恨”をマスコミとライラ当人が散々煽ったこともあって、どこか異様な雰囲気の中でゴングが鳴らされた。
「バカな奴だな! おうちで大人しくしてろって忠告してやったのによぉ!?」
ゴング直後の奇襲、ライラ再会の挨拶は、ヘッドバット。
それが見事にめぐみの額を捉え、さらに髪を掴んでライラが二発三発と拳を入れると、流れ出る血が瞬く間に王者の視界を紅く染めた。
「いい色じゃねぇか! また血塗れにしてやるぜぇ? あん時と同じになぁっ!」
「あの時と、同じ? ……違うわ。 そうはならない!」
嵩にかかって攻めに来たライラの前進を、めぐみは高速のローリングソバットで止めた。
そんなもの効くかよ、と嘲笑を貼り付かせたままのライラだったが、その余裕は、ソバットの着地からノーモーションで繰り出されためぐみの次の技を目にした時、一瞬で消し飛んだ。
「フライングニール、だとぉっ!?」
──着地直後に、どういうバネしてやがんだ、こいつ!?
その驚愕を言葉に乗せる間も与えずに、電光石火の一撃がライラを吹き飛ばした。
助走不足ゆえに威力は半減。
しかし奇策めいたその一発は、ライラを動揺させるに十分な効果を発揮した。
「行くわ!」
ヘッドシザース、フェイスクラッシャー、ぶっこ抜いてのフロントスープレックス、さらに引きずり起こしてニーリフト。
めぐみの代名詞ともなりつつある怒涛の連続攻撃がライラを文字通りにきりきり舞いさせ、ドームを大歓声で揺るがせる。
「……っざけてんじゃねぇっ!!」
身体とプライドが受けたダメージにぶち切れたライラが、鋭い拳でめぐみの出血部分を襲った。
指関節を立てることで凶器と化したライラの右が容赦なく傷口を抉って広げ、鮮血の赤をとめどなく白いマットに撒き散らす。
それでも──今日のめぐみは、止まらなかった。
「私は負けられないの! あなたにも、自分にも!」
強引に抱え上げた不知火からのフォールはカウント2.8止まり。
しかし、間髪入れずに繰り出された今度は助走十分のフライングニールキックまでは、さしものライラも耐えきれなかった。
NJWP王座戦は、わずか11分55秒、意外なまでの圧勝劇で、武藤めぐみが二度目の防衛に成功したのである。 *4c
(……ようやく、終わった……)
リング中央に倒れたままのライラを血でかすむ目で見つめながら、めぐみはコーナーポストにもたれると、自らの身体を片腕で抱きしめた。
震えているのだ。
試合前から、今まで。 ずっと、止まることなく。
何度か深呼吸をし、爪を立てて痛いほど自らを抱きしめても治まってはくれない、その震え。
それが──
(…………えっ?)
額に当てられた誰かの手を感じた瞬間、嘘のようにピタリと治まっていた。
「……動かないでね、めぐみ。 大丈夫? 痛くない?」
まだ血が止まりきってない額の傷をガーゼで押さえてくれているのは、セコンドについてくれていた、結城千種だった。
「……千種……」
「えへへ。 めぐみ、お疲れさま。 辛かったのに、よく頑張ったね?」
不覚にも、めぐみは泣きそうになった。
いや、ここがリングの上、大観衆の前でなければ、目の前の親友に抱きついて、泣きじゃくっていただろう。
それができない今の状況と自分とを少し残念に思いながら、めぐみは彼女なりのやり方で、千種への感謝の想いを言葉に乗せた。
「なに言ってるのよ、千種。 こんなの、ただの通過点じゃない。
私たち二人は、まだまだ上を目指さないといけないの! そうでしょ?」
「うん、そうだね!
私も、早くタイトルマッチできるくらいにならなくっちゃ!」
今日の興行は、まだメイン戦を残している。
リングを空けるために、二人は連れ立って花道を退場した。
「ん〜、でも、私はまだまだベルトを狙える力が無いもんなぁ……。
あ、そうだ! レイさんの TTT王座に挑戦してみるのってどうかな、めぐみ?」
「……千種。 それ取って満足しちゃったら、絶交するからね……」
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