「ふえ?」
呼びかけにカレーのスプーンを口に入れたまま振り向いた親友・祐希子の姿に、来島は大きくため息をついた。
「ちょっとちょっと、恵理さん。人の顔見てため息なんて、随分と失礼じゃない?」
「あ、悪りぃ。なんか、いつも通りで拍子抜けしちまってよ」
「いつも通りじゃないわよ。今日はキーマカレーだもん」
「そうじゃねえって。この一ヶ月、お前がいつ爆発するか、寮長や霧子さんとビクビクしてたんだけどさ。平然としてるのがちょっと不思議でな」
「爆発って……人を不発弾みたいに。何が不思議なのよ?」
「いや、他の相手ならともかく、あの市ヶ谷に負けてAAC世界ヘビー取られたわけだろ? お前のことだから、てっきり大荒れして乱闘したりヤケ食いしたりした挙句、社長にリベンジマッチを直談判しにいくはずだと思ってたんだが……」
「……恵理があたしのことを、どー思ってるか、よくわかったわよ。言っとくけど、あたしだってすっごく悔しいんだからねっ」
「それにしちゃ、あっけらかんとしてねーか?」
「──そりゃあね。市ヶ谷のヤツに負けたのは悔しいわよ。でも今回は、あいつが強かったっていうより、あたしが弱かったの。そう思うんだ」
「お前にしちゃ弱気だな。自分にはチャンピオンの資格が無い、てことか?」
「うーん。ちょっと違うかな。 誰かが言ってたわ。『ベルトってのは、特に世界王座なんてのは、それに相応しくない奴の腰には絶対に巻かれない』って。 チョチョカラスに勝った時のあたしには、ベルトを取るだけの力と資格があったはず。──でも、ベルトを持ち続けるだけの力や資格は、あたしにはまだ無かったのよ」 *8
珍しく饒舌に語る祐希子。カレーが冷めるのも忘れて遠くを見るその表情に、来島も黙って耳を傾けた。
「だから、今はベルトを奪い返すのが先じゃない。もっと練習して試合して、強くなることが先。そうすれば、今度は市ヶ谷なんかに負けないはずだし、ね」
あの市ヶ谷にもベルトを取る力と資格があるって認めるのは、かなりシャクなんだけど──と付け加えて、祐希子は思い出したかのようにカレーをすくった。口に運ぶと、笑顔がこぼれる。
それを見ていた来島も、つられたかのように苦笑した。
「ま、その辺はやっぱり祐希子だな。安心したぜ。ただ、今の話だと、社長の提案もお断りってことだよなあ」
「社長の? どんな話?」
「葉月さんと市ヶ谷のAAC世界タッグへの挑戦だよ。俺と祐希子でどうだってな。 社長は、祐希子対市ヶ谷の第二ラウンドってことで客も喜ぶだろう、て言ってたんだが、今の話じゃ仕方ねえか。社長には俺から謝って──うわぁっ!?」
その場に叫び声だけ残して、来島の身体はもの凄い勢いで引き摺られた。
目を白黒させた来島の服を掴んでいるのは、もちろん祐希子だ。
「恵理と組んでAACタッグ挑戦なんて、社長もイキな試合組んでくれるわね! よおっし、燃えてきたあ! 絶対ベルト取るわよ、恵理! 市ヶ谷の奴もボロボロにしてやる!」
「ちょ、ちょっと待てえ! ベルトよりも強さじゃなかったのかよ!?」
「あれはシングル。こっちはタッグ! カレーと一緒で、別腹よ!」
「カレーは別腹じゃねえ!」
WRERA 5月興行の締めとして行なわれた AAC世界タッグタイトルマッチは、王者組の市ヶ谷と挑戦者組の来島がともに流血するハードな熱戦となったが、祐希子が場外で市ヶ谷と乱闘を繰り広げる中、最後は葉月が来島をチキンWフェイスロックでタップアウト。
王者組が初防衛戦を勝利で飾った。 *9
以下は、試合後の挑戦者組コメント。 *10
「えへへ、ついつい市ヶ谷ボコるのに夢中になっちゃって。ごめんね、恵理?」
「えーと。やっぱ、ベルト狙うより、まずは強くなるのが大切ってことで……練習してくる」
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