5(エピローグ)
三人がイベントホールの大きな自動ドアを通り抜けた時には、もうすっかり日も暮れて人影もまばらになっていた。
「んー! 今日は面白かったぁ!!」
思い切り伸びをした満面の笑顔に、
「そうだねー、リンコちゃん。 わたしも楽しかったっ」
ひと足先に外へ出ていたポニーテールの少女は、振り返ってこちらも笑顔を見せた。
一方、二人の後ろを歩いていたお姉さん風の少女は、わざとらしく眉を寄せて息をつく。
「もう。 リンコちゃんは反省することも忘れちゃだめよ?」
「わかってますって。 さっきも向こうの佐久間さんに釘を刺されたばっかですもーん」
およそ真剣味のない答えだったが、お姉さん風の少女ももう怒る気はないのだろう。 苦笑だけを浮かべ、後輩二人に続いて広い階段を下りはじめる。
それからしばらくは、最後の試合は特に凄かったですよねーとか、佐久間さん昔は凄いレスラーだったんだってさーとか、いろいろあったけど滅多に出来ない経験だったわねーとか、三人でとりとめない話をしていたが、
「そういえばネネさん。 最後に佐久間さんに言われて何か紙に書いてましたよね。 何かあったんですか?」
ポニーテールの少女に訊かれたところで、お姉さん風の少女は不意に足を止めた。 残り二人も自然と立ち止まる。
「ねえ、リンコちゃん」
「なんです? ネネ先輩」
「今日みたいな危ないこと、本当にもうしないって約束できる? 大丈夫?」
「えっ……」
先輩ちょっとしつこいんじゃ、と思ったもののそれは飲み込んで。
「や、約束しますって。 大丈夫です! 反省もしてますから!」
「そう? じゃあ、合格」
相好を崩したお姉さん風の少女が、片目をつむった。
「あのね、実はね。 佐久間さんには、私の住所と電話番号を伝えてたんだ。 今度のとわの市興行に私たち三人を招待したいから連絡先を教えてって言われてね」
「わぁっ!」
先に意味を把握したのは、ポニーテールの少女だった。 口の前でぱんっと合わせた両手をそのまま伸ばしてショートの少女の手を握る。
「やったね、リンコちゃん! また三人でプロレス観られるよ!」
「ええ!? ああ、そういうこと……なんですか? ネネ先輩」
「そうよ。 今日みんなを危ない目に合わせたおわび、ですって」
「じゃあ次も入場料タダ?」
「……たぶん、ね」
「よぉし、やったぁ!! ネネ先輩ナイス! 次も楽しみですね、マナカ先輩!!」
「うん! 楽しみだね、リンコちゃん!!」
握られた腕をブンブン振り回してはしゃぐショートの少女と、振り回されるまま楽しげに踊るポニーテールの少女を、お姉さん風の少女も笑って眺めていたが、あっ、と突然その口元を手で押さえた。 その様子にショートの少女が気づく。
「どうしたんです、ネネ先輩?」
「うーん、ちょっと失敗しちゃったかも。 図々しいけど駄目でもともと、どうせなら六人分お願いしてみても良かったかなあって。 今度はレディースシートってわけじゃないと思うから、みんなでトリプルデートしてみるとか、ね」
「三人とも彼を連れて来るってことですか。 うん! それも楽しそうだよね、リンコちゃん♪」
「リンコはちょっと反対、かな」
えっ、と驚いた顔で動きを止めたポニーテールの少女から離れ、ショートの少女はくるりと背を向けた。
「だってさ。 今日の試合はみーんなカッコよくて、綺麗で華麗で、美人な人も多くて、すっごく魅力的な女の人たちばっかだったじゃん? だからさ……」
ショートの少女はそこで肩越しに振り返り、そして、
「だから、アイツ連れてくのはちょっと嫌かな、って」
どこか言いにくそうにそれだけ告げると、顔を戻してそのままスタスタ歩き出した。
残された先輩二人は、きょとんと首を傾げて少女をしばらく見送っていたが、顔を見合わせると、
「ふふっ」
どちらからともなく笑って、それから二人で頷いた。
「そうねぇ、それもそうかもしれないわね」
「やっぱりわたしたち三人で行きましょうか、ネネさん」
「うんうん。 今日のことは、女の子だけの」
「はい! 秘密ってことにしましょう!」
笑い合いながら歩き出した先輩たちが、早足で自分を追ってくる。 その声と足音を背後に確かめたところで、ショートの少女は肩に掛けたバッグの中から一枚の色紙を取り出した。
「……へへっ♪」
にんまりと少女を微笑ませたのは、別れ際に金井が書いてくれたサインと、そのすぐ脇に強引にお願いして書かせた一言だった。
「ちづるー。 美加知らない?」
「美加? あの子ならさっき外へ出てったわよ」
「あら、一人で? 抜け駆けとはずるいじゃないの」
バスの到着にはまだまだ余裕がある。 三人でお菓子でも買いに行こうと思っていた富沢は、控え室の窓際で暇を潰していた永原の言葉を聞いて頬を膨らませたが、
「じゃあ行ってくれば? 時間あるから一時間ぐらいロードワークしてくるってさ」
「パス!」
ぶるぶると首を振って即座に拒否してから、すぐに訝しげに眉を寄せた。
「ロードワークって、あの美加が? 練習嫌いのあの美加が?」
「……あの子もあんたには言われたくないと思うな。 なんかさ、美加ったら張り切っちゃってんのよ。 今日のいろいろ、特に小早川さんとのことが、いい刺激になったんじゃないかな」
「そうなんだ。 三日坊主にならなきゃいーけど」
「それも、あんたには言われたくないと思うな」
溜息を一つついて、永原は傍らの小さな窓に目をやった。
「なになに、ちづる。 なんか面白いものでも見えるの?」
「なんにもー」
「ふーん」
そばに寄った富沢も目を凝らすが、街明かり以外は確かに何も見えない。
「あのさぁ、レイ」
「んー?」
「あの三人さぁ、可愛かったよね」
「ああ、姉ヶ崎さんたちのことね。 そうねー、可愛かったわねー」
「あのさぁ、レイ」
「んー?」
「彼氏さぁ、欲しいよね」
「……そうねー、欲しいわねー」
二人は揃って窓の外を見上げた。
暗い夜空に、星は一つも見えなかった。
「わあ〜! キレイな星だぁ〜!」
折り返し地点と定めた噴水公園に走りこんだ金井は、足を止めて見上げた夜空に一つだけ明るく輝く星を見つけて、感動の声を上げた。
「えへへ。 なんか得した気分だよっ」
池のほとりを巡る柵に腕をかけると、微かに浮いた額の汗を首に巻いたタオルでぬぐい、ほっと一息つく。
「ふぅ。 ……へへっ♪」
星を見つめる金井の微笑みが、いきなり深い笑みへと切り替わった。
「ホント、リンコちゃんったら無茶言うんだからな〜」
尖らせた口を照れ笑いに乗せて、ショートの少女とのやり取りを思い出す。
別れ際に書いたサインと、その脇に半ば強引に書かされた一つのメッセージのことを。
「『どうせなら大っきいこと書かなきゃダメじゃん!』なんてリンコちゃんは言ってたけど、大ウソついちゃうのも嫌だもん。 あの修正は認めてもらわないとね〜」
あれだって無理難題でプレッシャーなんだから。 などと付け加えながらも、金井の表情は笑顔のままだ。
「ジュニアチャンピオン……うん。 いつかは、ね。 でもまずは、泣き虫返上から頑張ってみよーかな……っと!」
色紙に書いた『泣き虫返上! いつかは世界チャンピオン!』という文と、その横に後からフキダシ付きで加えた『ジュニア』の文字。
それらを書いた時の自分の気持ちを思い出しながら、金井はもう一度走り始める。
その頭上には、明るい星がたった一つだけ輝いていた。
|