3
「ふえぇぇぇぇ〜〜ん! レイちゃ〜ん!」
「あ〜もう、泣いてんじゃないわよ美加! 交替交替、タッチしたげるから! ちづる、この子よろしく!」
「はいはい。 ほーら、痛くない痛くないー。 痛いのとんでけー」
「だって〜、すっごく痛かったんだもん! ふえぇぇ〜ん!」
一層大きくなったキューティー金井の泣き声に対して、会場中から笑い声がどっと起きる。
泣いた女の子を寄ってたかって笑いものにする、というのは通常なら大いに問題ある行為だが、ここはプロレスの会場で、泣いているのはリングで戦うプロの選手だ。
しかも、泣いた原因がタッチして飛び出した直後にビンタを二発くらっただけとくれば、この場合は当然とも言える反応だろう。
そういう意味では、リングサイド最前列のガールズシートに座る女の子たち、中でも揃って今回がプロレス初観戦となる三人の高校生たちの反応は、極めて例外的と言えた。
「なんか……泣いちゃったわね、あの子」
「そ、そうですね……」
笑顔ではあるが、楽しいというよりは呆れている、呆れているというよりはどう反応すればいいかわからない、といった類の表情で、お姉さん風の少女とポニーテールの少女は顔を見合わせた。 その隣では、
「………………」
声も出せない様子のショートカットの少女が、ぐったりとした様子で顔をうつむけていた。
「どうしたの、リンコちゃん? 具合悪いの?」
「あー。 いいえー、リンコは全っ然大丈夫ですよー、マナカ先輩ー」
あははははー、と乾いた笑いに引きつった表情を添えて隣のポニーテールの少女へとプレゼントしたショートの少女は、その顔を正面のリングに向け直すと、
「ったく格ゲーではあんなに強かったのに何やってんだかっ。 いやこれ強いとか弱いとかの問題じゃないっつーか、ちょっと期待しちゃったリンコがバカじゃんっつーか、いくらなんでも普通はプロレスラーが泣いたりしないでしょっつーか」
ブツブツと文句をつけはじめた。 もちろん標的は、まだ青コーナーのエプロンで永原ちづるに慰めてもらっているキューティー金井だ。
「リンコの『がんばれ』を返せっつーの、もうっ」
「オーッホッホッホッホ! そうですわ! もう少しぐらい頑張ったらいかがですの? この出来そこないの小娘ども!」
絶妙のタイミングで響き渡った大声に、ショートの少女は思わず自分の口を押さえてしまった。
見上げたリングの中央では、金髪の女王様レスラー・ビューティ市ヶ谷が、黒髪のコスプレレスラー・富沢レイを卍固めに捉え、観客席からの『富沢ー、がんばれー』といった散発的かつ形式的な声に高笑いで応戦していた。
「このような馬鹿馬鹿しい試合、適当にお茶を濁して──と思っておりましたが、貴女たちのあまりの弱さ、情けなさ、不甲斐なさに気が変わりましたわ! このビューティ市ヶ谷からの愛のムチとして後輩の貴女たちを全力で叩き潰してさしあげますから、ありがたくやられておしまいなさい! オーッホッホッホッホ!」
「……あっちゃー。 市ヶ谷さん、やる気出てきちゃったのかー。 これは面倒なことになっちゃったなあ」
「レイちゃん、タッチ! 今度こそ私、頑張るから! ほら、タッチ〜!」
人差し指で頬を掻く永原の隣で、どうやら何とか立ち直ったらしい金井がエプロンから手を伸ばした。 どうやっても富沢には届くはずのない距離だが、金井のタッチ要請に気付いた市ヶ谷は、ふふん、と鼻で笑って卍固めを解いた。 まろぶようにしてコーナーへ戻る富沢を見送って、余裕の表情で相手チームの交替を待つ。
「あーら。 誰かと思えば、さっき出てきて10秒で泣きべそかいて退散した金井さんとやらじゃありませんの。 また泣かされに出てくるとは、おかしな趣味をお持ちですのねえ?」
「今度は、泣かないもん!!」
勢い良くコーナーを飛び出した金井は、中央の市ヶ谷を横目にロープへと走った。 斜めにロープを使い、ジュニアレスラーならではのスピードで市ヶ谷に対抗しようとするが、
「小娘が何をやっても無駄無駄無駄ですのよ!」
背後から襲撃しようとしたところを容易く市ヶ谷に読まれ、カウンターの裏拳一閃で派手に弾き飛ばされる。 それでも、
「う〜っ! まだまだだよ!」
と今度は泣きべそをかかず、受け身をとった勢いのまま起き上がると強引に組みついた。
「いっくよぉっ! ノーザンライトぉ……」
「百億年早いですわ!!」
いくらなんでも無謀すぎる決め技へのチャレンジを、「ここは食らっておいてあげましょう」と許す市ヶ谷ではない。 ノーザンライトスープレックスを仕掛けた後輩を、持ち前のパワーでサイドスープレックス気味にうっちゃって潰すと、無謀へのお仕置きとばかりにロープへ走ってスライディングキック。 ロープ際に転がった金井をリング下へと蹴り落としてしまった。
「きゃあっ!」
「オホホホッ、逃げられるとお思いですの!?」
自分で蹴り落として『逃げる』も無いものだが、市ヶ谷は自らもロープをくぐってリング下に降り、リングサイドの客たちから驚愕や不安や感激などが入り混じった反応を引き出した。
「わぁ、二人ともリングから降りちゃいましたよ! これが噂に聞いてた場外乱闘なんですね!」
「いやいや、マナカ先輩。 まだ乱闘になるって決まったわけじゃあ」
「ふふっ。 マナカちゃん楽しそうねぇ」
目を輝かせるポニーテールの少女たち三人の席もリングサイド最前列だが、市ヶ谷と金井が降り立ったのはちょうどリングの反対側。 そのため三人の反応も、さしずめ対岸の火事を見ているが如しだった。
ところが。
「ええい、この! ぴーぴー泣いてたくせに、ちょこまかと逃げ足だけは一人前ですわね! さっさとわたくしの手にかかって楽におなりなさい!」
「やだ! 私、今日は頑張るの! かっこいいとこ見せなきゃなんだからぁ!」
金井は自分を捕まえてリング上に戻そうとする市ヶ谷の手を巧みにすり抜け振りほどき、逃げながらのエルボーやチョップやキックを当てていった。 ダメージはゼロに等しいが、市ヶ谷は見るからにストレスを募らせてその柳眉を逆立てていく。
「生意気ですわよっ、小娘の分際でぇ!」
市ヶ谷怒りのフロントキック。 金井は間一髪で躱したものの、背後では直撃を受けたパイプ椅子が蹴散らされ、耳触りな音を派手に立てた。
「ちょっと! 市ヶ谷さんも美加も! この会場はフェンス無いから場外ダメだって、理沙子さん言ってたじゃないですかぁ!」
永原が青コーナーから慌てて叫ぶが、場外を赤コーナー近くまで移動した二人には聞こえていない。 さらに二度、三度と続けざまにパイプ椅子の倒れる無機質な音が鳴り響き、場外乱闘に盛り上がる会場の喧騒に、危うく難を逃れた女性客の小さな悲鳴が混ざる。
「ありゃりゃ、これマズイよねー、ちづる。 今日のリングサイドって女の子たちの招待シートだからさ、こーゆーの慣れてないお客さんもいるんじゃない?」
「だから私たちが止めに行かなきゃダメでしょ! ほら!」
隣の富沢の手を引っ張って、永原はエプロンから場外のマットに飛び降りた。
その間も市ヶ谷と金井の場外乱闘──というより鬼ごっこに近い──は続いていたが、幸いにしてこれまでのところ、椅子の散乱を除いて被害らしい被害は出ていない。
女性限定キャンペーンの特別席とはいえ、そこはプロレスを好んで最前列で見ようとする女の子たちだ。 慣れた様子で自分から後方へ退避する者も多く、そうでない子たちもリング近くに控える団体スタッフや若手選手にいち早く誘導やガードされたりして、いずれも事なきを得ていた。
「……ええ、避難するんですね、わかりました。 ──マナカちゃん、リンコちゃん、ちょっと移動よ!」
「はーい、ネネさん! 危ないですもんね、ハプニングですもんね♪」
「マナカ先輩……なんでそんな嬉しそうなわけ……?」
全員がプロレス初観戦の三人も、徐々に移動してきた市ヶ谷台風が数メートルまで接近したところでスタッフの指示を受けた。 少し慌てたものの三人は速やかに荷物を持って席を立ち、誘導に従って暴風圏外へと移動──しようとしたその時。
「そこまでです、市ヶ谷さん! 今すぐ美加を離してリングに戻ってください! さもないと、この富沢レイが……」
「うるさいですわよ! この小娘どもぉっ!!」
「きゃあああ!」
「み、美加!? きゃあああ!!」
「レイ!? 待っ、きゃあああ!!!」
三連続で沸き起こった悲鳴に移動しかけた少女たちが顔を向ける間も無く、三人の列に横から二つの肉体が突っ込んできた。
「きゃっ!」
「あっ!!」
「えっ……ネ、ネネ先輩!? マナカ先輩っ!」
最後尾でたまたま難を逃れたショートの少女が気付いた時には、目の前で四つの身体が折り重なるように倒れていた。 お姉さん風の少女とポニーテールの少女、そして飛び込んできた永原と富沢が。
「ネネ先輩、マナカ先輩! 二人とも大丈夫ですか!?」
「う、うん。 ちょっと痛かったけど大丈夫、かな。 マナカちゃんは?」
「わたしも、大丈夫みたいです。 ……少し重い、ですけど」
「あ、ごめんなさい! お客さん立てる? 大丈夫? レイもほら! 早く立たないとその子が起きれないでしょ!」
「あたたた……市ヶ谷さんたらぁ。 いきなり美加をぶつけてくるとか、ほんとムチャクチャなんだからぁ」
市ヶ谷が、金井の腕を掴むやハンマースローで、というより文字通りハンマー投げの要領で金井を振り回して富沢にぶつけ、永原ともども吹き飛ばした──という一連の流れをショートの少女が全て把握できたわけではなかったが、
「オーッホッホッホ! 金井さんとやら、そろそろこの茶番劇も幕引きにいたしますわよ!」
自分のすぐ後ろで高笑いを轟かせた加害者の女性が、こちらのことを心配どころか気にもしていないことは瞬時に理解できた。
加えて、振り返ったその目に映ったのが、加害者たるその市ヶ谷が『ゲーセンで出会った好敵手』の金井を足蹴にふんぞり返っている光景とあって、ショートの少女の思考は瞬く間に真っ白い激情に埋め尽くされた。
「プロのくせに……お客さんを、それも先輩たちを、あんな目にあわせておいて……っ」
一歩、二歩、三歩で背後に近づいて、四歩めで踏み込み、そして──
「その人にまで手を出すな! アンタはまず謝れっつーの! この金髪高飛車女ぁーーーっ!!」
ローキック、いや、ゲーマーな少女が言うところの『小キック』が会心の軌跡を描いて市ヶ谷の右脚に炸裂し、小気味良い衝撃音を辺りに響かせた。 あろうことか、あの市ヶ谷の身体がわずかながらもグラリと傾ぐ。
「「リ、リンコちゃんっ!!??」」
「「なななな、なんてことをー!!!」」
起き上がったばかりの四人からほとばしった二組の叫び声が終わらぬうちに、
「…………あれ?」
ふと我に返ったショートの少女は、背筋を極めて冷たいものが流れていくのを感じた。
見上げた視線の先には、肩越しに自分を見下ろしている市ヶ谷の能面のような無表情。 そしてその口がゆっくりと開いていくのが見えた。
「……どこから……」
「……えっ?」
「いったいどこから湧いてきましたの!? この馬の骨ドチビ娘はぁ!?」
「わぁぁぁぁっ!!!」
叫び声の末尾は、少女の視界とともに強引に上方へと持ち上げられた。
「市ヶ谷さん!? その子ダメです違います! お客さんにビューティボムは駄目ですってえ!」
「ち、違うわ、ちづる! 市ヶ谷さんのアレは……スプラッシュマウンテンの体勢よ!!」
「それはどっちでもいいからぁっ!!」
慌てふためく永原と富沢の姿も、その傍らで声も出せずに息を呑むお姉さん風の少女とポニーテールの少女の姿のどちらも、ショートの少女の目には入らない。 仰向けで宙に晒された視界を埋め尽くすのは、天井で眩しく輝くカクテルライトの光のみだった。
(うわ、チカチカするよ……高いし。 ズボンじゃなかったら中見られてたじゃん……)
いきなり天高く担ぎ上げられて貧血を起こしたのだろう。 ぐらぐらと揺れて定まらない意識の中で、ショートの少女は今の状況にそぐわないことをぼんやりと考えていたが、
「お仕置きしてさしあげますわっっっ!!!」
甲高い宣言とともに、技の名前通り急斜面を落下するコースターよろしく、少女の身体は一気に天空から地上へと急降下させられていった。
「リンコちゃん!!?」
「リンコちゃんっ!!」
「だめぇぇぇぇっ!!」
先輩二人と、そして誰だか判別のつかないもう一人。 三人分の叫び声を耳に残して、
(アイツ……今ごろ何してんのかな……)
一瞬だけ脳裏をよぎった彼氏の姿を最後に、少女の意識は闇へと堕ちていった。
4
「なにそのプラチナエクストラ鯖缶って!?」
衝撃的な夢の内容と自分が発した声の大きさに驚いて、ショートの少女はベッドの上で上体を跳ね起こした。
かけられていた白いシーツが微かな衣ずれの音を残して、胸元から滑り落ちる。
「……あれ? ここ、どこ?」
白い壁と飾り気の無いベッドを見てすぐに思い浮かんだのは学校の保健室だが、どうも少し違う感じだ。 さらなる情報を求めた少女が首を巡らそうとした時、
「リンコちゃん! 良かったっ!」
「わあぁっ!?」
飛びつく勢いで横から抱きつかれ、少女は目を白黒させた。
「マ、マナカ、先輩っ?」
「なかなか目を覚まさなくて、心配したんだからね! ここの先生はどこも打ってないから大丈夫って言ってたけど、もしこのまま起きてくれなかったらどうしようって!」
医務室のベッドの上でぎゅ〜っと抱きしめられて、ショートの少女は視界の半分を占めた大きなリボンに苦笑いを見せた。
「先輩、起きなかったらって、いくらなんでもそんな大げさな」
「いいえ。 ちっとも大げさじゃないわよ、リンコちゃん?」
横合いからの声にショートの少女が顔を向けると、お姉さん風の少女が軽く口をへの字に曲げてこちらを見据えていた。
普段がとても優しいだけに、これは怖い。
「いい? リンコちゃん。 リンコちゃんは私とマナカちゃんのために怒ってくれたのかもしれないけど、もうちょっとであの物凄いプロレス技をもらっちゃうとこだったのよ? プロレスラーの人を蹴るだなんて、あんな危ないこと絶対にしちゃダメでしょ!」
「はい、ごめんなさい先輩……って、あれ? 『もうちょっとで』ってことは、リンコはあの技をマトモにくらわなかったわけ?」
「マトモどころかちょっとでも受けてたら、もっと大変なことになってます!」
「わぁ! ごめんなさいごめんなさいなんかごめんなさいっ!」
「リンコちゃんは、キューティー金井さんに感謝しないとね」
やんわりとした横槍で助け舟を出したのは、ようやく落ち着いたらしいポニーテールの少女だった。 ショートの少女から身を離して立ちあがる。
「金井さんがぎりぎりのところで滑り込んで、リンコちゃんを受け止めてくれたの。 あんなに小さくて可愛いのに、さすがはプロレスラーだよね。 リンコちゃんを助けた後も、すぐ起き上がるとあの市ヶ谷さんに向かって行って──あっという間に放り投げられちゃってたけど、それでも格好良かったなぁ」
「金井さんが……」
じゃあ最後に聞いたあの声はやっぱり、とショートの少女が記憶を辿りかけたところで、じーっとこちらを見る膨らんだ頬に気が付いた。 お姉さん風の少女は、まだ怒っている。
「リンコちゃん、ちゃんと反省してくれてるの?」
「は、はいっ。 反省してます。 以後、気をつけます……」
さすがに恐縮した様子のショートの少女に、
「そうだよ。 気をつけてね、リンコちゃん」
ポニーテールの少女が今度はクスクス笑いながら言った。 ちらりと隣の先輩に目をやって、
「じゃないと、怒ったネネさんが怖〜いプロレスラーさんにビンタとかしちゃうかもしれないもん。 市ヶ谷さんの所へ行こうとするネネさんを止めるの、とっても大変だったんだよ? 永原さんと富沢さんとわたしの三人がかりで、必死に押さえたんだから」
「マ、マナカちゃん? あんまりお話を誇張しちゃだめでしょ、ね?」
「いえいえ、誇張なんてしてませんよ。 永原さんと富沢さんも、あの後ネネさんのことを……」
「とにかく! もうやっちゃダメよ、リンコちゃん!」
顔を赤くしたお姉さん風の少女が言い切ったところで、ドアを叩くノックの音が聞こえてきた。 返事を待たずにドアノブが回り、長い黒髪がひょいと覗く。
「お邪魔しまーす。 あのー、姉ヶ崎さん。 ひょっとして小早川さん、起きました?」
「あら、富沢さん。 はい、リンコちゃんならおかげさまで先ほど目を覚ましました」
「……入っても、いいですか?」
「えっ? もちろんいいですよ。 ……なんで、そんなに気を遣ってるんです?」
「あ、いえ、別にっ。 さっき姉ヶ崎さんの怒った声が聞こえたからちょっと怖いなーなんて、全然思ってないですよ?」
「………………」
絶句してしまったお姉さん風の少女は、後ろでポニーテールの少女がショートの少女に「ほらね?」と微笑んだことにも気づいたが、そちらには何も言わないことに決めたようだ。 小声でどうぞとだけ富沢に告げて、自分は後ろに下がって道を開けた。
「それじゃ失礼しますねー。 ほら、美加もちづるも入った入った!」
「えと、その、えと。 レイちゃん、私はやっぱり……」
「はーいはい。 美加ったらいつまでそんなこと言ってるの。 後ろがつかえてるんだから立ち止まらないっ」
富沢に招かれるまま、縮こまった様子の金井と、その金井をぐいと押し出すように永原が入室してきた。 三人とも試合のコスチュームからジャージやTシャツ姿に着替えている。
「どもー。 こんにちは、小早川さん。 痛いとことか気分悪いとか無い? ダメよお、市ヶ谷さんみたいな怖〜いレスラーに喧嘩なんて売っちゃあ」
「レイったら……お客さん相手なんだから、もうちょっと礼儀ってものをさ。 えーと、はじめまして、小早川さん。 私は永原ちづる。 こっちのは富沢レイです。 この度は危ない目に合わせて、ほんとーにすみませんでした」
富沢と永原はスタスタとベッドに歩み寄りながら次々にショートの少女に声をかけた。 少女の方も、
「あ、はい、おかげさまで、すみません、どうも、いえ、アタシもつい、そんな」
と戸惑い気味ながらも無難に応対したが、一人だけドア近くに残ってモジモジしている金井が気になるようで視線は何度となくそちらに飛んでしまう。 それを察したか単純に金井の様子を気にかけたのか、お姉さん風の少女が金井に笑顔を向けた。
「金井さんもどうぞ。 遠慮しないでいいんですよ?」
「え!? あの、えと、その。 私はぁ……」
モジモジをドギマギに変えて皆の注目を集めた金井に、半身を起こしたショートの少女が意を決したように口を開く。
「金井さん、あのっ」
「あああっ、思い出した! 理沙子さんが、小早川さん起きたら呼んでって言ってたじゃない! ちづるちゃん、レイちゃん、私が理沙子さん呼んでくるね!」
早口でまくしたてるや身を翻した金井の左腕が、後ろからがしっと掴まれた。
「なーに逃げようとしてんのよ、美加〜。 心配しなくっても理沙子さんなら私が呼んできてあげるわよ〜」
「むぁ!? ふぇ、ふぇいふぁん! ひはいひはい、ふぁいっへふぅぅ!」
一気にチキンウィングフェイスロックの体勢に入った富沢が、ジタバタともがく金井を底意地の悪い笑みで逃がさない。
永原はそんな二人の様子に指で頬を掻いてから、不意にショートの少女に顔を近づけた。 小さな声で囁く。
「小早川さん……できればあの子を、美加を怒らないでもらえますか?」
「……へっ?」
ショートの少女は、目をぱちくりとさせた。
ついさっき先輩に怒られたように、怒られることをしたのはむしろ自分の方だ。 こっちが怒るにしたって、自分をフロアに叩きつけようとしたあの市ヶ谷とかいう高飛車オバサンの方ならともかく、その大ピンチから助けてくれた金井をどうして怒るというのだろう。
「美加ったら、泣きべそかいてる時に小早川さんを見つけて、『私がんばらなくっちゃ!』モードになったみたいで。 ゲームセンターで会った子が応援してくれてる、泣いてられない、って思っちゃったんでしょーね。 あなたが来てくれたのがよっぽど嬉しかったんですよ、あの子」
ちらっと振り返った永原の視線を追って、ショートの少女も金井を見た。 富沢の技からはまだ解放されず、うめき声とともに左右の髪を躍らせている。
「あんまり嬉しくって張り切りすぎて……理沙子さんが禁止した場外乱闘やっちゃって、小早川さんまで危険な目に合わせたのは確かなんですけど。 美加はそのことすっごく反省して後悔して落ち込んでたから、できれば許してあげてほしいなーって」
勝手なお願いですけどね、と茶目っ気たっぷりに肩をすくめた永原に、
「許すもなにも、そんなっ」
ショートの少女はふるふると首を振ってから、こちらは居心地悪そうに肩をすくめた。
先輩に誘われていなければ、しかもタダでなければ、自分はおそらくこの場所にすら来てはいない。 そんな自分のために、金井は頑張ってくれた。 助けてくれた。 心配して落ち込んでもくれた。 それがなんだか申し訳なくて、フクザツな心境で──
「はーい、アンタはそっちへ行ってらっしゃい!!」
「ちょっとレイちゃぁぁんっ!!」
金井の悲鳴。 それに気づいたショートの少女が顔を上げた時には、富沢に思い切り突きとばされてたたらを踏んだ金井の顔が目の前に迫っていた。 息を呑んだ少女の数センチ前で金井がベッドに手をつき、ギリギリで衝突を回避する。
「せ、セーフ、ですね。 金井、さん」
「こ、小早川、さん。 どうも、です」
見つめ合った二人の頬が、なぜか少し赤くなる。
「あーら、お二人さんいい感じじゃないの〜。 ささ、皆さんここは若い二人に任せますか〜?」
「ふふ。 そうですね、富沢さん。 マナカちゃん、永原さんも、こっちこっち」
「はい、ネネさん。 ……リンコちゃん、しっかりね。 カレシさんには秘密にしておいてあげるから♪」
「あー……小早川さん、彼氏いるんですね……。 あの、ひょっとして、高嶺さんも?」
「あ、はい、永原さん。 わたしたち三人とも、それぞれ、一応……」
「うわ〜、いいなぁ。 まあ、皆さん可愛いですもんねえ」
などと各々勝手なことを言いながら退室していく四人を、
「………………」
「………………」
金井とショートの少女は、ともに無言で見送った。 二人して照れと苦味が入り混じった顔をしてはいるが、二人で話すいい機会だと思ったか、それともあっけに取られただけか、どちらからも制止の声は出なかった。 そんな二人を残して、医務室のドアが閉められる。
「小早川さんっ! 今日はホントにごめんなさ」
「試合の結果!!」
意を決しての謝罪を勢い良く遮られて、金井は思わず声を飲み込んで固まった。 口をつぐんで目だけしばたたかせたその顔から視線を外した少女は、
「結局、あの試合はどうなったんです? 勝ち負けは」
「……結果は、ノー・コンテスト。 勝ち負けはつかなかったんだ。 市ヶ谷さんがお客さんの小早川さんに手を出しちゃったから、そこで中止になったの」
という金井の言葉を聞くなり、
「ごめんなさい!!」
謝罪の言葉を力いっぱい叫んで、金井を思い切り慌てさせた。
「えええ!? ちがっ、謝るの私の方だよぉ! ダメって言われてたのに私が場外で戦っちゃって小早川さんを巻き込んじゃったんだからあ!」
「でもでも! それだけ金井さんは頑張ってたわけじゃん! しかもさ、頑張ったのはリンコ見つけて嬉しかったからだって! リンコなんかタダじゃなかったらここに来なかったかもしれないのに、なのにそんなリンコが勝手にカッとなってあのオバサン蹴ってみんなに迷惑かけて、金井さんの頑張りまで全部台無しにしちゃったんだよ? 悪いの全部リンコじゃん! だからごめんなさい!」
「違うよぉっ! プロレスラーはいつだってお客さんのこと考えて試合しなきゃいけないんだもん! 私も市ヶ谷さんもあんなことしちゃいけなかったの! あれでお客さんが、小早川さんたちがプロレス嫌いになったらどうしようって! だからこっちがごめんなさいなの!」
「違うって! ごめんはこっちだって!!」
「ううん! ごめんはそっちじゃなくてこっちだってば!!」
互いに断固として譲らない姿勢を見せたところで息が続かなくなったのか、どちらも一旦はぁはぁぜぇぜぇと呼吸を整えた。
それで少しは気分も整ったのだろう。
「ていうか、さ」
ショートの少女が呟くように言った。
「金井さん、ありがと」
「だから、ごめんなさいは私の──えっ?」
きょとんとした金井ではなくベッドのシーツを見ながら、ショートの少女が続ける。
「ゲーセンでさ、リンコといい勝負してくれて、今日のこと教えてくれて、リンコのために頑張ってくれて、でもって、最後にリンコを助けてくれて。 それなのに一つもお礼言ってなかったなーと思ってさ。 だから……ありがと」
「小早川さん……」
「リンコ」
「え?」
「リンコって呼んでよ。 格ゲー仲間なんだし、年上の人にさん付けされるの苦手だし」
そこまで言ってから、はたと気付いた。
「わわっ。 その年上の人にタメ口きいちゃってるじゃんアタシ! えと、えーと、ごめんなさい! つい気安く感じちゃってそれでっ」
「もう。 だからごめんなさいは私の方だってばぁ」
金井の言葉は先ほどと同じ内容だったが、添えられた表情は正反対のものだった。
「それにね、ありがとうを言うのも私の方なんだよ? 小早川さんと……リンコちゃんと格ゲーしてて楽しかったし、来てくれて嬉しかったし、だからいつもより頑張れたし──って、頑張ってもダメダメだったけどね。 市ヶ谷さんの相手にもならなくて、リンコちゃんのこともちゃんと守れなかったし。 でもそのおかげで、もっと強くならなきゃ、強くなりたいなーって思えたんだ」
「強く?」
「うんっ。 やっぱり私も、見に来てくれる人に情けないとこ見せたくないもんねー」
「……試合中に泣いちゃったりとか?」
「はうっ。 そ、そうだよねえ、泣いちゃダメだよねえ。 今日の私、かっこいいとこ無かったよねえ……」
がっくりと肩を落とした金井に、
「言われてみればそうかなぁ。 リンコを助けてくれた時はかっこよかったみたいだけど、リンコは気絶しちゃってそこは見てないから」
「はうぅぅ〜っ」
軽い追い打ちをかけて、さらに縮こまらせてから、
「だからさ、次にはかっこいいとこ、よろしく」
ぶっきらぼうに言って、金井の顔を上げさせた。
「……リンコちゃん、次も見に来てくれるの?」
「んー。 今日のことでリンコが会場出入り禁止とかにならなかったら前向きに検討しようかなーって。 ほら、知り合いが出るなんてレアイベントだし、それに女子プロレスって、思ってたよりもずっと面白かったし」
金井の顔がぱぁっと輝いた。 それを横目に──少し照れながら、ショートの少女は付け加えて言った。
「本当は今日も、もうちょっとプロレス見たかったな、て思っててさ」
軽く頭を掻いたその腕が、いきなりぐいっと引かれた。
「じゃあ、見に行こうよ!」
「ええっ? 見に行くって?」
小柄で華奢でもさすがはプロレスラー。 その力に驚きながら、少女は腕を引かれるままベッドから床へと降り立った。
「まだ、メインの試合が残ってるの! 世界チャンピオンの人の試合がねっ。 タイトルマッチじゃないけど相手の人も前にチャンピオンだった人で、祐希子さんもそんな簡単に勝てる勝負じゃなくて……とにかく、きっと凄い試合が見られるから! ねっ?」
「は、はい!」
急展開に面食らいながらも自分のスニーカーをつっかけて、笑顔に急かされるまま足を踏み出す。
「ほら急いで、リンコちゃん! 置いてっちゃうよぉ!」
「はーいはい!」
アンタはリンコのカレシかっつーの! と、力強く自分を引っ張る金井の手に胸中でツッコミを入れながら、ショートの少女は金井とともに走り出した。
医務室の外、試合会場へと通じる、扉の向こうへと。
この日のメインイベントは、IWWF世界ヘビー級王者・マイティ祐希子と前同級王者・ダークスター・カオスによる世界最高峰の一戦。
ノンタイトルながらも互いの意地と意地がぶつかりあう白熱した攻防は、37分49秒のムーンサルトプレスで 3カウントを奪ったマイティ祐希子が、勝者を称える万雷の拍手に浴する結果で幕を閉じた。
なお、この日の試合であわや観客一名に大怪我を負わせるところだったビューティ市ヶ谷は、
「観客が攻撃してくるなんて普通ありえないことでしょう? わたくしの記憶に残らない下々の新人選手と思ってしまったのも当然、わたくしに非などありませんわ! それよりも、今回のように観客を危険に晒すような興行を行なった会社の安全管理姿勢、そして何よりこのわたくしを前座の試合に出そうという選手管理の方針の方にこそ、わたくしは大いに問題を感じますわね! オーッホッホッホッホ!」
と公然に所属団体を批判。 後に新団体・JWIを立ち上げて新女から離反する発端となったと言われているが、それはまた別の話である。
また、その市ヶ谷に危うく大怪我を負わされるところだった観客の少女は、数日後自宅に届けられた差出人不明の『御見舞品』と書かれた大量の花および果物を目の当たりにして家族ともども面食らうことになるが、これもまた別の話である。
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