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ノリだけ企画 : レッスル忠臣蔵

レッスル忠臣蔵

レッスル忠臣蔵(れっするちゅうしんぐら)は『「忠臣蔵」をレッスルエンジェルスキャラクターにやらせてみるテスト』をちょっと Wikipediaっぽく書いただけの、単なるキャラクター当てはめ話である。

以下の内容については、全くオチが無いことと、Wikipediaの元禄赤穂事件や忠臣蔵の項を多分に参考・流用していることの二点に、十分留意されたい。

目次

あらまし

松の廊下の刃傷

時は元禄14年3月14日。江戸殿中競技場(定員5000)のWA-1廊下(通称・松の廊下)で、「年増」「眉毛」「沖縄の田舎侍」などと日頃から挑発の絶えなかった市ヶ谷上野介麗華に対して、上原内匠頭京子(今日子とも)が突然、背後からの襲撃に及んだ。
「このブレード上原の刃、受けてみろ!」と上原が叫んだことから「松の廊下の刃傷」と呼ばれることになるこの事件では、襲撃を受けた市ヶ谷が負傷、失神。上原は周囲の人間に取り押さえられる。

当時、試合会場の外で相手を襲うことは絶対的な禁止事項とされていたことから、上原内匠頭はもちろん市ヶ谷上野介も幕府目付の小鳥遊伝八郎薫らの取調べを受けるが、積年の遺恨を理由に挙げた上原に対し、市ヶ谷は「この完璧な存在である私が、人の恨みなど受けるはずがありませんわ。これは内匠頭の乱心に違いありませんわよ。オーッホッホッホ!」と述べたとのこと。





江戸・国許の動き

上原内匠頭の後継者とされていた大高大学はるみは、江戸にて刃傷発生を知ると即刻書状をしたため、急使を団体本拠地へ派遣した。

急使となった八島藤左衛門静香は交通規制を無視してバイクを走らせ、国許に事件を伝える。
一方、江戸では堀惣右衛門咲恵らがその人徳を活かして家中の混乱を鎮めるべく対応。様子を確認するべく訪れた幕府目付の小鳥遊らを感服させたという。




内匠頭切腹、お家取り潰し

時の将軍は、「にゃんこちゃんやわんちゃんは大切にしなきゃだめ〜!!」令(通称・生類憐れみの令)で知られる五代将軍・徳川舞。(出自は御三家の一つ・永沢家。)

舞はお膝元の会場における不祥事に激怒したのか、腹心の真壁出羽守那月と協議し、即日のうちに上原内匠頭に切腹、お家の改易(取り潰し)を命じた。また市ヶ谷上野介に対しては、禁止事項を憚り手向かいしなかったことは殊勝であるとして咎め無しとした。
団体トップが即日切腹というのは異例のことで、この過剰なほどクール&エレガントな裁定には、上原擁護派の大目付・佐久間伯耆守理沙子を筆頭に幕府内でも反対の声が上がるが、大老格として幕政を主導していた真壁に退けられた。

上原内匠頭は数刻後に切腹。
直前になってようやく幕府から連絡を受けた大高大学は、六角源五右衛門葉月を急ぎ向かわせる。六角は切腹前の上原と最後の対面をし、切腹後は遺体とともに鯖弐寺へと向かい上原の葬儀を執り行ったが、世間の目を憚らざるを得ないそれは、一世を風靡した団体トップの葬儀とは思えぬ淋しいものだったという。






開城

急使・八島藤左衛門から連絡を受けた筆頭家老・新咲内蔵助祐希子は、カレー屋から直接登城。家中の全員にも登城命令を出して、状況の確認および周知と善後策の協議を開始する。

続報を受けて事件の詳細が伝わると、家中は篭城を主張する抗戦派と、開城してお家再興を嘆願すべきとする恭順派に意見が分かれた。
祐希子は補佐役の来島忠左衛門恵理とともに、一同の殉死をもってお家再興嘆願を、という意見へ家中を集約していくが、江戸から六角源五右衛門とともに戻った剣豪・吉田安兵衛龍子、その義姉・石川弥兵衛涼美、龍子と同門の小川孫太夫ひかるの主張を受ける形で、最終的には無血開城に踏み切った。

ただし、その開城はあくまで市ヶ谷上野介への仇討ちを前提としたものであり、祐希子は同調した者たちから誓紙血判を受け取って義盟を結んでいる。








お家再興の嘆願

開城後、祐希子は、大高大学はるみを立ててのお家再興を叶えるべく譜代家臣・吉原十内泉らとともに有力諸家への嘆願を繰り返す一方で、自ら江戸にも赴いて、早期仇討ちを主張する龍子ら江戸急進派に自重を説き続けた。

また、この時期に祐希子は、元服した愛弟子・菊池主税理宇の加盟を許し、さらには、後の討ち入りで最もめざましい働きをしたと伝えられる「四十七士最強の切り札」・大空数右衛門みぎりも一党に加えている。

一旦京都に落ち着いた祐希子は、ひたすらカレーとパチンコ三昧の日々に明け暮れたと言われる。これは市ヶ谷家の目を欺くための演技であるというのが半ば定説化しているが、祐希子はもともと大のカレー好きでパチンコも嗜んでおり、本当に楽しんでいた可能性も高い。





円山会議

翌年7月18日、幕府が大高大学はるみに他団体への身分預けを言い渡したことで、お家再興の望みは完全に絶たれる。

この知らせを伝えられた新咲内蔵助祐希子は、7月28日、吉田安兵衛龍子ら急進派も招いて京都円山で同志との会議を開き、本所市ヶ谷屋敷(定員2000)への殴りこみならぬ討ち入りを決定した。


決戦準備

討ち入りを決意した祐希子は幾人かの同志を町人に紛れ込ませ、市ヶ谷邸の内情を探らせている。逸話が残るものとしては、近所の家族向け定食屋で女中となった小縞十平次聡美や、奇抜な衣装を扱う呉服屋を開いた富沢伊助レイなどが挙げられる。

また、祐希子は市ヶ谷邸の絵図面入手にも成功しており、これに関しては「四十七士一番の美少女(但し自称とも)」・藤島金右衛門瞳の色仕掛けの逸話もあるが、こちらは後世の創作とされる。

さらに、討ち入りには市ヶ谷上野介が確実に在邸する日を選ぶ必要があったが、これは江戸入りしてから庭球(テニス)の指導役で生計を立てていた同志・金森源五麗子が、市ヶ谷邸での庭球会の日取りを聞き出せたことで決着する。祐希子はこの情報を確かなものと判断し、庭球会が行なわれる12月14日を討ち入りの日と定めた。






討ち入り

12月14日。この日まで残った同志は47名。
表門と裏門の二手に分かれ雪の降りしきる夜に陣太鼓を打ち鳴らす、というのが映画やドラマでの定番であるが、実際は満月の快晴で太鼓も用意されていなかったとされるため、陣太鼓は四十七士の誰かの入場テーマ曲イントロであったと考えられる。

表門では金森源五麗子、滝幸右衛門翔子ら身軽な面々が先頭を切って門を乗り越え、裏門では辻次郎左衛門香澄早瀬勘平葵伊達三郎兵衛遥らが門を破ってなだれ込んだ。

その頃、市ヶ谷家と(互いの当主の意には全くそわぬことながらも)盟約関係にあった寿家では、討ち入りを知った当主・寿弾正大弼千歌が(これも極めて嫌々ながら)援軍に出馬しようとするが、家老・沢城兵部小鳩が強く脅迫諫言して押しとどめている。
ただし、実際には小鳩は出仕しておらず、千歌の縁戚である寿義寧零が止めたとの説もある。

四十七士は市ヶ谷方の大規模な抵抗も予想していたが、実際には多くの家臣たちが恐怖ゆえか、あるいは市ヶ谷上野介を見限ったのか、長屋から出てこなかった。
それでも、幾人かの家臣の奮戦は記録されており、市ヶ谷上野介の身代わりとなって奮戦する十六夜平八郎美響の姿や、庭の凍った池の橋で敵を食い止め、吉田安兵衛龍子と壮絶な死闘を演じた南一学利美などは劇作でも取り上げられている。
ただし、寿家家臣が編纂した『芽露出偉文書』によれば、最も奮戦したのは鏡新八郎明日香であり、四十七士の金井勘六美加を子供扱いして池に叩き落し、泣きべそをかかせるなどの活躍を見せたという。
また、市ヶ谷上野介が後見役を務めた榎本左兵衛綾も若輩の身ながら奮戦。四十七士の剣客・大空数右衛門みぎりと果敢に渡り合い、重傷を負いながらも生き延びている。













終結

相当数の死傷者を出した市ヶ谷方に比べ、味方の負傷者は金井勘六美加と堀惣右衛門咲恵の2名のみ。しかし本命である市ヶ谷上野介は見つけられず焦る四十七士たちであったが、終結は突然訪れる。

台所横の炭小屋から突如高笑いが聞こえてきたため、来島忠左衛門恵理らが中に入ろうとすると、中から飛び出してきたド派手な寝巻き姿がその高笑いとともに瞬く間に寄せ手を蹴散らした。その人物は「おのれ、あの生意気ズン胴ド田舎娘ぇ!」と新咲内蔵助祐希子を思わせる(本人は否定)叫びとともに一時的な混乱を辺りに巻き起こす。
それでも、武藤十次郎めぐみ結城唯七千種の二人がいち早く立ち直って応戦。数分にわたる激闘の末に相手を斬り伏せた。

その死体をよく調べてみると、派手な髪型と美貌と厚化粧だったので市ヶ谷上野介に違いないと判断。合図の笛を吹いて玄関前に集合した四十七士は市ヶ谷家臣に見せて確認を取り、ようやく勝ちどきを上げることができたのである。

討ち入り後、四十七士は邸内の厳重な火の始末をし、市ヶ谷方の遺体を安置した後、上原内匠頭の菩提である鯖弐寺に向かった。この時、新咲内蔵助祐希子は、来島忠左衛門と永原助右衛門ちづるの両名を大目付・佐久間伯耆守理沙子のもとに出頭させている。
また、この道行きで足軽の星野吉右衛門ちよるが立ち退き、四十七士は46名になっている。これには、逃亡説、祐希子の密命説、ただの迷子説など諸説あるが、真相は明らかにされていない。










四十七士切腹

大目付・佐久間伯耆守理沙子は新咲内蔵助祐希子ら全員を自らの屋敷に引き揚げさせ、その間に幕閣では四十七士に対する評定を行なった。

世論は完全に四十七士の行動を義挙として称えており、将軍・徳川舞や側用人・真壁出羽守那月も決断には大いに悩んだが、最終的には全員に対して切腹の命を下した。

元禄16年2月4日、46名の浪士は切腹。遺骸は上原内匠頭と同じ寺に埋葬された。(オチ無し。)




関係人物

市ヶ谷家・上原家

市ヶ谷上野介麗華(ビューティ市ヶ谷)

松の廊下で上原内匠頭から刃傷を受ける。四十七士に袋叩きの上で殺害された。
「身分が高くてイヤミでみんなから嫌われる役」は、やはり市ケ谷様しかいないかと。


上原内匠頭京子(ブレード上原)

松の廊下で市ヶ谷上野介に刃傷に及び即日切腹。
団体であろうとお家だろうと、お取り潰しといえばこの人[要出典]


大高大学はるみ(大高はるみ)

上原内匠頭の後継者。養子?
物語上あまり出番がなさそうなのも SPECIAL限定出演のこの子にお似合い?(コラ)


四十七士

※ サバ2に出てくるレジェンド系中心。なんとなくサバ2お初キャラはご遠慮願ってます。

新咲内蔵助祐希子(マイティ祐希子)

討ち入りの指導者。吉良=市ヶ谷となった時点で配役確定。


菊池主税理宇(菊池理宇)

内蔵助の愛弟子。討ち入りのときは裏門の大将をつとめる。


六角源五右衛門葉月(六角葉月)

上原内匠頭切腹の際に最後の対面をした。独自の行動が多かったとされる。


堀惣右衛門咲恵(テディキャット堀)

四十七士では古株の人徳者。刃傷事件後、江戸屋敷を速やかにまとめた。


吉田安兵衛龍子(サンダー龍子)

仇討ち急進派の中心人物。時に祐希子とも対立、討ち入りでも奮戦した。


石川弥兵衛涼美(石川涼美)

四十七士の「お姉さん」。龍子を見込んで義妹にしている。


来島忠左衛門恵理(ボンバー来島)

大柄な人物で、内蔵助を良く補佐したという。


越後沢右衛門しのぶ(越後しのぶ)

来島忠左衛門の縁者。「…来島の縁者? いいやもう越後で」(コラ)


金井勘六美加(キューティー金井)

討ち入りの際、四十七士で数少ない負傷者の一人となり泣きべそをかいた。


大空数右衛門みぎり(大空みぎり)

家臣ではなかったが懇願して義盟に加わる。討ち入りでは八面六臂の働きをした。


藤島金右衛門瞳(藤島瞳)

後世の創作では美少女とされ、色仕掛けで市ヶ谷屋敷の図面を手に入れたとも。


小川孫太夫ひかる(小川ひかる)

龍子らと行動をともにした仇討ち急進派の一人。


武藤十次郎めぐみ(武藤めぐみ)

市ヶ谷上野介に一番槍をつけ、その首級をあげた。


結城唯七千種(結城千種)

武藤十次郎とともに市ヶ谷上野介に挑み、これを討ち取った。


金森源五麗子(金森麗子)

インストラクター仲間から市ヶ谷屋敷でテニス大会があることを聞きつけた。


八島藤左衛門静香(八島静香)

族車を駆って刃傷事件の第一報を祐希子らに伝える。


小縞十平次聡美(小縞聡美)

家族向け定食屋の女中として市ヶ谷屋敷周辺を探った逸話あり。


富沢伊助レイ(富沢レイ)

江戸で奇抜な衣装のみを扱う呉服屋を開き、市ヶ谷屋敷を探索した。


星野吉右衛門ちよる(星野ちよる)

討ち入り後に一行から立ち退いている。理由は諸説ありはっきりしていない。


  

※ここから先は、目立ったエピソードが見当たらないため、さらにてきとーな当てはめのみ


  

渡辺源蔵智美(渡辺智美)

踊るように頑張ったらしい


相羽和助和希(相羽和希)

真面目に頑張ったらしい


杉浦貞右衛門美月(杉浦美月)

理論的に頑張ったらしい


白石瀬左衛門なぎさ(ノエル白石)

意外なほど頑張ったらしい


内田久太夫希(ラッキー内田)

冷静に頑張ったらしい


上戸孫九郎真紀(マッキー上戸)

熱血で頑張ったらしい


斉藤又之丞彰子(斉藤彰子)

実直に頑張ったらしい


永原助右衛門ちづる(永原ちづる)

ジャーマンで頑張ったらしい


吉原十内泉(ミミ吉原)

テクニカルに頑張ったらしい


滝幸右衛門翔子(ミシェール滝)

華麗に頑張ったらしい


北条岡右衛門沙希(ロイヤル北条)

気品をもって頑張ったらしい


近藤五郎右衛門真琴(近藤真琴)

一途に頑張ったらしい


草薙十郎左衛門みこと(草薙みこと)

柔らかい物腰で頑張ったらしい


小早川喜兵衛志保(小早川志保)

小柄さを活かして頑張ったらしい


氷室新六郎紫月(氷室紫月)

運命的に頑張ったらしい


中森勘助あずみ(中森あずみ)

仕事人風に頑張ったらしい


伊達三郎兵衛遥(伊達遥)

人見知りしながら頑張ったらしい


柳生半之丞美冬(柳生美冬)

武士らしく頑張ったらしい


村上喜兵衛千春(村上千春)

サボリ気味に頑張ったらしい


村上三太夫千秋(村上千秋)

手抜き気味に頑張ったらしい


桜崎伝助美咲(メイデン桜崎)

笑顔で文句言いながらも頑張ったらしい


結城八十右衛門みか(ソニックキャット)

「うきゅ♪」と頑張ったらしい


保科右衛門七優希(保科優希)

おっとりと頑張ったらしい


真田新左衛門美幸(真田美幸)

燃えて頑張ったらしい


野村弥左衛門つばさ(野村つばさ)

背伸びして頑張ったらしい


神田与五郎幸子(神田幸子)

ストイックに頑張ったらしい


辻次郎左衛門香澄(辻香澄)

元気に頑張ったらしい


早瀬勘平葵(ドルフィン早瀬)

貧しくても頑張ったらしい


市谷家家臣

※ 市ヶ谷に味方してくれそうな(ホントか?)選手たちで。

南一学利美(南利美)

市ヶ谷邸の池の橋で奮戦し、最期は吉田安兵衛龍子に斬られて倒れ落ちたとされる。


榎本左兵衛綾(榎本綾)

市ヶ谷上野介の養子(?)。討ち入りの際に果敢に戦うも重傷を負う。


十六夜平八郎美響(十六夜美響)

市ヶ谷上野介の身代わりとなって奮戦したと言われる。


鏡新八郎明日香(フレイア鏡)

金井勘六美加を池に落とすなど、討ち入りの際に奮戦。事件後も生き残っている。


寿家

寿弾正大弼千歌(寿千歌)

個人的感情はともかく、市ヶ谷家とは古くから盟約関係にあったため、討ち入りに際しては嫌々ながらも市ヶ谷邸への援軍に向かおうとする。


寿義寧零(寿零)

千歌の縁戚にあたる。出馬しようとした千歌を実際に止めたのは彼女とされる。


沢城兵部小鳩(メロディ小鳩)

寿家家老。演劇などでは、市ヶ谷家に援軍を出そうとした主君に可愛くダメ出しをする。


幕府

徳川舞(永沢舞)

江戸幕府第5代将軍。上原内匠頭を即日切腹・改易に処した。
「にゃんこちゃんとわんちゃんを大切にしなきゃだめ〜!!」令(生類憐れみの令)で有名…というネタだけでこの子を抜擢(?)。


真壁出羽守那月(真壁那月)

大老格として幕政をクール&エレガントにこなす。徳川舞の良きパートナー。


佐久間伯耆守理沙子(パンサー理沙子)

上原擁護派の幕府大目付。討ち入り後には四十七士の自首を受け、便宜を図った。


小鳥遊伝八郎薫(ガルム小鳥遊)

幕府目付。刃傷事件後、上原内匠頭や市ヶ谷上野介を取り調べた。



脚注

1. 事件とは全く関係ないが、3月14日は榎本綾の誕生日。
2. 事件とは全く関係ないが、7月18日はRIKKAの誕生日。
3. 事件とは全く関係ないが、2月4日は斉藤彰子の誕生日。


おわりに

……本当に↑こんなの↑全部読みました? (←こらこら (^^; )

実は今回のネタ、「浅野家」=「レッスルエンジェルスそのもの」にして、
『レッスルエンジェルスシリーズ復活を嘆願する四十七士』にしようかとも思ったんですが、なんかナマナマしすぎるし「いや、断絶させてどうするよ」ということで自粛しました。

あと「脱盟組」として「サバ2に残れなかった人たち」をあてはめようかとも思いましたが、なんか悲しくなってくるので、これもやめておきました。

しかし、これだけの人数分キャラを当てはめても、まだまだたくさん余った選手がいる。
レッスルエンジェルスってやっぱりすごい。


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