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産みの苦しみ、救いの一手

リプレイ「風と天使と殺戮者」の妄想補完SSその3です。

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─はい。ええ、わかりました。はい。お気をつけて……それでは失礼します、社長」
 WRERA女子プロレス社長秘書・霧子は、相手が電話を切るのをしっかり待ってから、細い指で携帯のオンフックボタンを押した。
「はぁ……」
 我知らず溜息が漏れてしまったのは、別に通話相手の社長が嫌いだからではない。会話の内容が芳しくないものだったからだ。ただ、もう少し周囲に気を配るべきだったと、霧子はすぐに後悔することになった。
「ほらほら、恵理っ。霧子さん溜息ついてる! 社長、やっぱダメだったみたいよぉ?」
 その声に自分の立場と居場所を思い出した霧子は慌てて背筋を伸ばして口をつぐむが、時すでに遅しだった。
 それほど広くはないジムの室内。リングを挟んで反対側の筋トレ用スペースで、ダンベルを握った二人の少女がこちらの様子を伺っている。
 二人の中では体格の良いショートヘアの方はそれでも申し訳なさそうな顔で恐縮していたが、もう一人の方は何がうれしいのか少年のような笑顔で目を輝かせていた。
「お、おい。祐希子、霧子さん怒るって。すんません、霧子さん!」
「なによぉ、恵理。あんただってダンベル振りながら『あーありゃ交渉失敗だな。小鳥遊さんや北条さんのパワーファイト見たかったな。霧子さんも大変だよな。社長、どのツラ下げて帰ってくんのかな』って言ってたくせに」
「ど、どのツラなんて言ってねーよ! 俺は、どんな顔して帰ってくるのか心配だって言っただけだ!」
「社長なら、ここへはお帰りにならないそうよ」
 へっ? という形に口を開けて、新人レスラー─デビュー前なので練習生と言うべきか─のマイティ祐希子こと新咲祐希子と、同じくボンバー来島こと来島恵理は、二人揃って固まってしまった。
「霧子さん、それってまさか……。じゃあ、うちの団体は旗揚げもできずに……」
「な、なに考えてんのよ、恵理! きっと、朝までヤケ酒飲むから今日は帰らないとか、家に引きこもって一人で泣くから出社しないとか、そういう意味よ!」
「……二人とも、何を考えているのよ」
 霧子はもう一度、今度は意識して溜息をついた。つくづく、電話を受けた時にジムの外へ出るべきだったと後悔している。
「ロイヤル北条選手がワールド女子を、ガルム小鳥遊選手が日本海女子を選んで、うちとの交渉が物別れに終わったのは残念ながら事実です。ただ、そうなった場合、社長はその足で海外に飛ぶおつもりだったの。海外の団体や外国人選手との提携を取り付ければ、旗揚げ興行も何とかなりそうですからね」
 もっとも、その後が厳しい道のりになることは否めない。最低一人は実績ある日本人レスラーがいないと、集客・営業・教育のいずれの面でも大きなハンデを負うことになる。それは、社長と霧子を初めとする団体スタッフや選手全員の共通した見解だった。
「えーっ。じゃあ、まだあたしのデビューはお預け? こうなったら、もうあたしたちだけで旗揚げしちゃおうよ」
 訂正。一部の選手は除く。
「……お前ね。俺たち、四人しかいないんだぜ? しかも全員が新人だ。コーチのおっさんたちのおかげで練習はいいとして、試合どうすんだよ、試合」
「そんなの、みんなが何回も試合に出て、頑張って凄い試合をやれば……」
「却下。つーか、無理!」
 親友の来島にきっぱりと断言された祐希子は、ふてくされて筋トレに戻った。いろいろ技も覚えたし早く試合がしたいんだもんとか、変なレスラーに先輩面されるの嫌だもんあの成金高飛車ワガママ女だけでも腹立つのにとか、ぶつくさ言っているのは無視して、来島は霧子の方に向き直った。
「で、社長はどこへ行くんすか? アメリカかカナダかメキシコ? それともヨーロッパですか?」
「アメリカだそうよ。お帰りは来月の予定。TWWAやフリーの選手とお話しして、それからアメリカに渡ってる大物日本人選手にも会って交渉してくるんですって」
「おおっ、大物選手? 誰ですかね」
「私も名前までは……プロレス通の来島さんの方が詳しいと思うけど。見当つかない?」
「うーん。上原さんはメキシコだし、帰国して神戸の新団体に入ってたよな。アメリカだと、たしか……」
 来島は、ネットのプロレスコミュで一人の選手のプロフィールを見たことがあった。レスリングフリースタイルの元日本王者で、一時期は新日本女子に所属。早くから海外に渡って実績を残し、今はアメリカを主戦場にしている選手がいると。
「あの人の名前は……たしか、六……」
 細く不確かな記憶の糸がよりあって結び目を作ろうとしたまさにその時、全てを吹き飛ばす突風がジムのガラス戸を開けた。

「オーッホッホッホッホ! お久しぶりですわ、小物でわびしい引き立て役の皆さん!」
「うわぁ! な、なんだっ!?」
 一瞬で来島の思考を真っ白にした旧世紀貴族文化的高笑いの登場に、残り二人の視線が入り口に集まる。
 いったいここはどこだっけ、と考えたくなるほど場違いに豪奢な真紅のドレス。そしてそれを見事に着こなす大人びた少女の姿を視線の先に見つけて、祐希子と霧子は表情をそれぞれ嫌悪と驚愕の色に染めた。
「……出たわね、妖怪」
「い、市ヶ谷さん!? あなた、どうしてここに? 旗揚げまでは埼玉に残るって……」
「オーッホッホッホッホ! 愚問ですわね、霧子さん。社長がグズグズと興行を打てずに私のデビューを延ばすものですから、私自らこの貧乏暇なし団体に救いの手を差し伸べんとこーんな北の果てのド田舎まで来てさしあげたのですわ!」
「札幌はさいたま市より人口多いわよ」
「おだまり、小娘!」
「祐希子さん、挑発しないのっ。……えーと。それで市ヶ谷さん、救いの手って一体何のことなのかしら?」
 霧子は、とてもそうは見えないが一応この団体の新人レスラーの一人、ビューティ市ヶ谷こと市ヶ谷麗華に水を向けた。いろいろな意味で常人離れした彼女に実のところまともな答えはあまり期待していないが、団体の先行きが不安な今、藁にでもすがりたいのも確かなのだ。
 そんな霧子の思いを知ってか知らずか、市ヶ谷は黙っていれば典雅とも言える美しい口もとに薄い笑みを浮かべた。
「そもそも、社長も霧子さんも無用な心配をしすぎですわ。柔道時代から全国600億人のファンを持つこの私が一人いれば、ドームだろうと興行の成功は間違いなし。さっさと旗揚げすればよろしいのです!」
「……何が成功間違いなしよ。選手四人でどうするっていうんだか」
「……お前がそれ言うか?」
 小声で掛け合う祐希子と来島はもはや目に入らないらしく、市ヶ谷は大仰な身振り手振りまで交えて力説する。
「無論、いかに私といえど一人で試合ができないのは致し方のないところ。ましてやどんな相手も一分で倒してしまう私の試合だけでは、TV局も放送時間が埋まらず困るでしょう。私の引き立て役と前座を担当される方々、それもそこそこの実力を備えた選手があと二名は必要ですわね」
「……前半の話はともかくとして。あと二人が最低ラインというのは、私も社長も同意見です。その獲得に困っているのだけれど、まさか当てがあるとでも言うの?」
「オーッホッホッホッホ! 発想はグローバルでワールドワイドに持つべきですわよ! 国内にいないなら、海外に求めればよいのです!」
「え、ええ。だから、社長は今からアメリカに……」
「行動が遅すぎですわ! 私のデビューをまた一月遅らすなど、寛大な私が許しても天が許しません! そこで私が手を打ってさしあげたのです。お見せしますわ─カモン、猫又娘!」
「……あ、やっと出番にゃ。すみませーん、失礼しまーす」
 市ヶ谷に命じられてずっと外で待っていたのか。青みがかった瞳の小柄な少女が、苦笑いと照れ笑いが混ざり合った顔を入り口から覗かせた。

「ほ、堀さん?」
 ベリーショートの髪の少女は、テディキャット堀こと堀咲恵。霧子も良く知る団体四人目の新人レスラーで、大の猫好き。面倒見の良い性格から選手寮の寮長もまかせられている。もっとも、今の寮生は、彼女と祐希子と来島の三人だけだが。
「あら、寮長じゃない。なによぉ、市ヶ谷。寮長連れてきたって選手が増えるわけじゃ……」
 祐希子の文句は途中で呑みこまれた。ジムの土足スペースへと入ってきた堀の後ろから、三人の一見して外国人とわかる若い女性がぞろぞろと現れたのだ。私服ではあるが、好き勝手に聞き取れない言葉を喋っている彼女たちがただの観光客でないことは、三人目の少女が派手な覆面を被っていることから間違いない。
 目をぱちくりとさせる祐希子の隣で、
「あーっ! あの三人!?」
 来島が驚きの声を上げてその三人を指差した。
「何よ、恵理。知ってる人なの?」
「知ってるも何も! メキシコのAACのルチャ・ドーラだよ! ミレーヌ・シウバ、エレナ・ライアン、マスクド・ミスティ……去年見た新女の試合にも出てたんだ!」
「なんですってぇ!?」
 と叫んだのは、祐希子ではなく霧子の方だった。彼女の慌てる顔はかなり珍しい。
「市ヶ谷さん、あなたまさかAACと!? い、いえ、そんなはずは……と、とにかくどういうことなの!?」
 AACは現在日本の団体と契約しておらず、提携先を募っていることは霧子も知っている。
 しかし、AACとの契約に必要なほどの金額は財閥令嬢の市ヶ谷といえどそう簡単に動かせるはずがないし、そういった類の財政援助と業務干渉は市ヶ谷との契約時に禁止事項として盛り込んでいる。
「どういうこともなにも。この方たちをメキシコからお呼びしただけですわ」
「お呼びしたって……契約は? AACのフロントは何て? ビザも大丈夫なの?」
「何ですの、それ? そういうややこしいことは会社の方でやっていただきたいですわね。ああ、ここまでのフライト代とホテル代だけは私が恵んでさしあげましてよ。ほーんのはした金でしたけど。オーッホッホッホッホ!」
「……も、もしもし!? 社長! 社長!?」
 誇らしげな高笑いを尻目に、霧子は大急ぎでボタンを押した携帯電話を耳にあてながら上階の事務所へと駆け出した。
 今何が起こっているのか正確に把握できている自信は無いが、このまま放っておけば大変なことになってしまう。だからとにかく一刻も早く手を打たなければならない、ということだけは理解できたのだ。
「なあ……寮長。これってまさか誘拐っていうんじゃ……?」
「うーん。そういうわけじゃないみたいだよ」
 事の重大さを感じ取った来島からの問いにあっさりと答えてから、堀は外国人選手の一人、エレナと話し始めた。メキシコはスペイン語圏だが、アメリカ出身のエレナとアメリカ人を母に持つ堀は英語で会話が可能だ。
「この人たちは、久しぶりの日本で観光と試合ができる、いい話だと思ってるみたい。新団体の旗揚げに招待されて光栄だ、だって」
「そうなのか。まあ、本当に試合ができれば、俺らもうれしいんだけどなあ」
「うふっ。うふふふふふふ」
「わっ! ゆ、祐希子!?」
 おののく来島が振り向いた先で、祐希子は両手のダンベルを握り締めていた。妙な笑い声以外の何かが、全身から空気中に出ている。少なくとも来島には、そう感じられた。
「うふふふふ。市ヶ谷のやつも、たまには気の利いたことしてくれんじゃない! これで七人。試合もできる! 念願の旗揚げに向けて、問題は無くなったってことよね!」
「いや、問題大有りだから霧子さんが走ってったんだと思うぞ……」
「来島ちゃん……、今のゆっこに何言っても無駄にゃ」
 肩をすくめた二人と、武者震いする祐希子。そして外国人勢がきょとんと立ち尽くす中、市ヶ谷の高笑いはいつ終わるとも知れずに続いていた。
「オーッホッホッホッホ! 全ては私のアイデアと行動力の勝利! 社長も霧子さんも涙を流してありがたがるというもの。良い事をすると本っ当に気持ちが良いですわ!」
 
 ─その後。
 霧子からの連絡を受けた社長は、急遽飛び先をアメリカからメキシコへと変更。AACに平謝りした上で、その流れのまま何とか提携契約を取り付けることができた。
 準備不足ながら前倒しせざるを得なくなった旗揚げ興行も、満員とはいかなかったが、収支はかろうじて黒字発進。但し、帰国せずアメリカへと渡った社長は悲しいことに旗揚げを見届けることができず、一人異国で涙を流したという。
 とにもかくにも、WRERA女子プロレスという小さな船は、群雄ひしめき嵐うずまく大海原へと、頼りないながらも何とか船出を果たしたのだった。
 
「ところで、ゆっこ」
「何? 寮長」
「その“寮長”っていうのは照れるからやめて欲しいって言ったじゃない。最近は来島ちゃんやコーチまで使い始めちゃうし」
「えー? だって、寮長は寮長じゃない。それとも、市ヶ谷命名の『猫又娘ホーリー』の方がいい?」
「……寮長でいいにゃん」



妄想その3です。
途中で何書いてるのかわからなくなってきたんですが、そのまま書き上げてしまいました。(←推敲って知ってる?)

……ある意味、最後の数行だけのお話かもしれません。

「V1」だと、祐希子、来島、市ヶ谷の先輩にあたる堀さんですが、今作では祐希子や来島の同期かつ同い年。
「堀ちゃん」と呼びそうな祐希子はともかく、来島に「堀」とか「咲恵」とか呼ばせるのに違和感を感じたことから、新女寮の寮長という旧作からの設定に倣って、ここでも「寮長」にしてしまってます。

市ヶ谷の「猫又娘」は……勢いです。なんとなくです。出来心です。……すみません。



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