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木の芽時

リプレイ「風と天使と殺戮者」の妄想補完SSその1です

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 四月、札幌。
 遠からぬ花の知らせに心を躍らせる一方で、ふいのなごり雪に空を見上げることもある、そんな気まぐれな季節のこと。
 駅からほど近いビル街の一角で、小さな事務所のドアが、軽やかなベルの音とともにコート姿の男女一組を送り出した。
「それでは、まだ色々と大変だとは思いますが。旗揚げの日まで頑張ってくださいね」
 肌寒い外気をもほんのりと暖めてくれそうな微笑みとともに、ウェーブのかかった長髪の女性─佐久間理沙子は、決して社交辞令ではない言葉を男に伝えた。
「ありがとうございます。新女さんの、いえ、せっかく遠くまで来ていただいた理沙子さんのコンサルティングを無駄にするわけにはいきませんからね」
「ふふ。コンサルティングなんて大げさです。せいぜいアドバイス程度のお話ししかしていませんよ」
「とんでもない! コーチ経験しかない私には大助かりでしたよ。現役の、それもトップ選手の視点からのご意見もいただけましたし……」
 佐久間理沙子。リングネーム、パンサー理沙子。まだ20代前半ながら、業界最大手である新日本女子プロレスの絶対的エースにして、既にフロント業務にも携わる才女である。
 この北の地にプロレス団体を立ち上げる準備を進めていた男が、駄目もとで新日本女子に相談をお願いしたところ、ちょうど興行の谷間だからと、彼女が相談役を買って出てくれたのだった。
「しかし、まさか理沙子さん自ら来ていただけるとは。恐縮です」
 と、この三日間で四度は耳にしたフレーズとともに首筋を掻く男に、理沙子はこちらも四度目となる返事を口にした。
「業界が発展すればこちらにもメリットがありますから。微力ながらお手伝いができるのは私たちにとっても歓迎です。それに……」
「それに?」
 過去三度には無かった接続詞。思わずオウム返ししてしまった男に、理沙子はもう一度微笑んで、
「見ておきたかったんですよ。これから女神を目指す天使たちが生まれてくるだろう、できたてほやほやの巣を……ね」
 視線を上げた瞳に、二階の窓に貼られたばかりで真新しいカッティングシートの文字列が映る。
 WRERA女子プロレス─アイヌの言葉で“風”を意味する“レラ”の名を持つ新団体。
 この団体と、そこに集う天使のたまごたちには、いったいどんな未来が待っているのだろうか……。
 理沙子は目を閉じて、まだ冷たいがどこか暖かくも感じられる風を、その胸いっぱいに吸い込んだ。
 

─ところで、スカウトする選手は決まったんですか? 社長さん」
 駅への道すがらに発せられた理沙子から社長への質問には、彼女には珍しくからかいの成分が相当量混入していた。
「ははは……お恥ずかしながら」
「昨夜も、スカウティングレポートの山を前に何時間と悩まれてましたよね。実はあまり眠られていないんじゃないですか?」
「いやまあ、少しは」
 苦笑と言葉だけでは相殺しきれない恥ずかしさを、社長は頭を掻いてそっぽを向くことで放出した。
「ウチは零細団体なので本当は選べる立場ではないですが……零細なだけに若手主体で行くしかなく、メンバーもあまり増やせませんからね。なるべく将来性ある選手に的を絞りたいんですよ。しかしまあ、こればかりは」
「将来性は書類に出てこないですからね。新女も若手のスカウトや新人テストでは苦労してますよ。ただ、失礼ですが若手ばかりでは……」
「ええ、団体にはそれを引っ張る実力者も欠かせない。フリーの選手にも声をかけるつもりです。ウチなんかに目を向けてくれるか、不安ですけどね」
「……少し前であれば、京子─ブレード上原選手を紹介できたかもしれませんけど。ちょっとタイミングが遅かったですね……」
 理沙子が溜息をついたのは、社長への申し訳なさだけではなかっただろう。
 ブレード上原は同期入団以来の理沙子の親友で、新女では彼女と互角に戦える数少ないレスラーだった。「だった」と過去形なのは、数ヶ月前に他ならぬ理沙子との意見対立がもとで新女を退団してしまったからである。
「新聞で見ましたよ。海外に飛んでいたのを、つい最近、神戸にできた新団体が引き抜いたんでしたか。確か、財界人のオーナーが設立したという……」
─スレイヤー・レスリング。物騒な名前に似て、既にいろいろと強引なやり口を見せている団体です。オーナーもそうですが、秘書の女性がかなりのやり手らしく」
「秘書の人が……ですか?」
 右から理沙子に向けられた驚きの表情を、左からの頷きが迎えた。
「うちの社長が何度か会っているんですが、とにかく舌を巻いていました。若くて美人だが、あれは秘書というより参謀か軍師だと。確か、井上というお名前でしたね」
「……井上。はあ、井上ねえ」
 苦笑の混じった物言いに注意を引かれ、理沙子は小首を傾げた。
「? ひょっとして、お知り合いですか?」
「あ、いえいえ。私の秘書も井上になるというだけで。井上霧子くんという若くして非常に頼りになる女性なんですが、さすがに軍師というほどではないな、と」
「霧子さん、ですか。秘書の方なら、今後は私とお話しする機会も─」
 不意に理沙子の言葉が途切れ、半拍遅れてその歩みも止まった。先に行きかけてからそれに気付いて振り返った社長の眼前で、理沙子は細い路地の方を見つめていた。心なしか、その視線は先ほどまでより鋭い。
「……どうしました?」
 踵を返して自分も路地を覗くが、かなり行った所にカレー屋の看板があるぐらいで、取り立てて注目すべきものは見えない。
「音が……」
「音?」
「はい。ちょっと見てきます」
「え? あ、理沙子さん!?」
 慌てる声を残して、理沙子は早足で路地へと踏み込んだ。
 彼女の耳にした音は、音量としては微かなものだった。
 ただ、それは彼女がリングの上で飽きるほど聞いてきた音だった。それ故に理沙子の耳にだけ届いたのかもしれない。
 人と人の身体がぶつかる音。人が人の身体を打つ音。
 このような場所で耳にするのは確かに珍しいが、だからといって普段はここまで気にすることは無いし、場合によっては危険なことに巻き込まれる可能性もある。
 それでも、何か予感めいたものに突き動かされて、理沙子はその音の出どころを突き止めずにはいられなかった。
 

「ふう……。ったくもう……」
 苛立たしげに息を吐き出した少女は、腰に当てた手を離すと、左肩にかかった長い髪を荒々しくかきあげた。美少女と称しても異論は少なそうな顔立ちを軽蔑の形に歪めて、少女は左右に横たわった三人の男たちを若き女帝の如くに睥睨した。
「エラそうにふっかけてきといてこのザマ? なっさけないわねー!」
 凛、という言葉がよく似合う声にばっさりと一刀両断されても、成すすべなく叩きのめされた若者たちの身体は動かなかった。かろうじて生きていることを教えてくれる呻き声も、反論というより降伏の意思表示にしか聞こえてこない。
「これに懲りたら、店員さんに因縁つけたりしないことね。あそこのカレー、安くておいしいんだから……ああああっ!」
 突然絶叫を上げた少女の視線は、おとといの雪が残しただろう目の前の水たまりに釘付けになっていた。その中心付近では、何やら小さな紙の束だったものが水没に加えて乱闘で踏みにじられ、見るも無惨な様相を呈している。
 慌ててジャケットのポケットを探った結果、そこにあったものが「それ」だと確信した少女は、この世の終わりが来たかのような絶望を表情に浮かべた。
「あたしのスタンプカード……ようやく、十枚分貯めたのに。今日はタダで十杯食べれると思ったのにい……」
 握った拳を震わせて、少女は足元でボロ雑巾と化している男の一人を睨みつけた。食べ物の恨みは恐ろしい。それが大好物であればなおさらだ。
「お腹すいてるとこ、邪魔した上に……あんたたち……」
 彼らさえいなければ。そう思うともう止まらなかった。
「一体、なんてことしてくれんのよっ!」
 怒りにまかせて上げた足を、危険と知りつつ男の後頭部に振り下ろす。
「そこまでよ」
 この状況にぴたりとはまった声が、少女の動きを寸前で止めた。
 身体ごと振り返った彼女から七、八歩の距離。路地の曲がり角にたたずんだ理沙子が、気品さえ漂わせる美貌に乗った目を僅かに細めて、こちらをじっと見つめていた。
「それくらいにしておきなさいな、お嬢ちゃん」
「な、何よあんた! ひょっとしてこいつらの……」
「正真正銘、赤の他人よ。でも、それ以上はやり過ぎね。警察のお世話になりたいなら止めないけど」
「…………」
 諭すような口調に、少女の激情は自分でも意外なほどあっさりと鎮まった。理由はわからない。
 軽く唇を噛んで背後をもう一度見回すと、男は三人とも気絶してしまったのかピクリとも動かなくなっている。
 確かにこれ以上はやり過ぎだ。少女は、ばつが悪そうに肩をすくめた。
「……はいはーい、その通りだわ。ご忠告ありがと。それじゃ、あたしはこれで」
「待ちなさい」
「何よ。まだ何か……!?」
 足早に退場しようとしたところを呼び止められて振り向いた少女は、その瞬間に何を見たのか、血相を変えて後ずさっていた。
「あら、わかるのね」
 感心の声をあげた理沙子は、元の場所から一歩踏み出していた。少女が見たものはそれだけだ。それだけで、三人の男を無傷で片付けた少女が後ずさったのだ。
「感心感心。ただのチンピラお嬢ちゃんじゃないってことかな」
「だ、誰がチンピラよ! あたしはあいつらを懲らしめただけなんだから!」
「ケンカなんかしてる時点で大差ないのよ。売らない度胸も買わない勇気も無いなら、おうちで大人しくしてなさいな」
「な、なんだってえ!」
「……ちょ、ちょっと理沙子さん!?」
「社長さんは下がっていてください」
 理沙子の後ろで成り行きを見守っていた社長の焦りを言葉で制して、理沙子はさらに一歩前に出る。
「……うっ!」
 優雅にすら思える挙動に何を感じるのか。少女は明らかに気圧され、それでもそれ以上後ろには下がらずに身構えた。
「いい構えだけど、格闘技をやってるってわけではなさそうね」
「ふんっ! そんなの、あたしには必要無い……っ!?」
 声の末尾は宙を舞っていた。
 いつの間に距離を詰められ、いつの間に投げられたのか。それすら理解できずに、少女は全く衝撃の無いまま大地に胸を押さえつけられていた。
「くっ! い、一体何が……!?」
 じたばたするが、身体は動かない。理沙子が上に乗っているのはわかるのだが、何をされているかは理解の外だった。
「はい、おしまい。やっぱりあなた、ケンカはよした方がいいわね。私が乱暴な男だったら、あなたこれからどうなると思うの?」
「う、うるさい! もう一回やれば、あんたなんか……! 離しなさいよ、この年増!」
「えい」
 理沙子が軽く身体をずらすと、少女の動きと罵声が止まった。一瞬だけ全身を走った激痛に、叫ぶことも忘れて固まってしまったのだ。
 そんな少女を気にする風もなく、理沙子は元の場所でおろおろとしている社長に笑顔を向けた。
「社長さん。そちらの団体、入門テストは来週の日曜日でしたよね?」
「……え? あ、えーと。はい。そうですが」
「ですって、お嬢ちゃん。来週の日曜よ。忘れないように気をつけてね」
「……はあっ? 何の話よ!」
 暴れるのには懲りたらしいが、声の強気は失われていない。その声を好ましげに受け止めてから、理沙子は慈しむような目で少女に語りかけた。
「あなた……プロレスをやりなさい」
 それまでとはうって変わった静かな、しかし強い気持ちが込められた声。少女は、我知らず息をのんでいた。
「こんな路地裏じゃなく、眩い輝きと大歓声に包まれたリングの上で。そこでなら、あなたはきっと強くなれるわ。あなたの力も心も受け止めて応えてくれる相手が、そこには沢山いるのだから……」
「リング…、プロレス? あたしが……?」
「ただの女の勘、だけどね」
 いつの間にか理沙子は立ち上がって、コートの乱れを直している。
 一方で、解放された少女は身を起こそうともせず、アスファルトの冷たさをじっと頬に感じていた。
「社長さん。ちょっと惜しいですけど、この子はお譲りします。新女の入門テストは、先月終わってしまいましたし」
「は、はい。でも、テストに来てくれるかどうかは……」
「大丈夫、きっと来てくれますよ。あの生意気なお嬢ちゃんはね」
 それもただの勘ですけど、と付け加えた理沙子は、社長の背を押すようにして歩き始めた。空港行きの電車の時間が、そろそろ少し気になっている。
「……祐希子、よ」
「えっ……?」
 肩越しに振り返った理沙子と社長の前で、少女はゆっくりと身を起こした。ジャケットの汚れを払うことも忘れて、理沙子の目に一点の翳りもない瞳を合わせる。
「あたしは祐希子。新咲祐希子! あんたは……一体、何者なの!?」
「……新日本女子プロレスのパンサー理沙子。できれば覚えていてくれると嬉しいわ」
 そう言って、一度目を閉じてから
「いつか、あなたと戦える、そんな日がくるまで、ね」
 理沙子は笑った。
 その笑顔は、それから随分と長く祐希子の胸に残ることになる。
 光のしずくを散らす、春風のような煌きを伴って。



この作品は妄想であり、サバイバー2上の人物、団体、事件などには一切関係ない…ことにしておいてください。お願い。

さて、ゆっこさん in 札幌です。
サバイバー2でのスカウトシーンを見て「あ、ちょっとV1風だ♪」と嬉しくなったというただそれだけで、下手の横好きを書いてみる気になりました。

ドラゴン藤子の代わりとして、六角さんに絞められる、八島さんにボコられる、霧子さんの謎の迫力に気圧される、なんてのまで妄想した結果、素直に「理沙子さんに投げられる」に着地。
説得シーンに説得力が無いのは、これはもうごめんなさいです。

ちなみに、上原さんは「今日子」ではなく旧作以来の「京子」にしてしまってます。なんとなく。


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