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素直じゃない彼女が胸に秘めた想い [3]

〜 レッスルエンジェルスV1 異聞 〜

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 本当は、自分がここでリングに上がるべきではないのかもしれない。
 そう思いながらも、市ヶ谷は歓声渦巻くリングの中へと足を踏み入れた。

「げっ、市ヶ谷!?」

 気付いた祐希子が、振り返りざまにこれ以上ない嫌な顔をする。
 当然だろう。 今の自分と祐希子の関係を思えば、そんな反応しか期待できないのは市ヶ谷にもわかりきっていたことだ。
 祐希子自身だけでない。 この舞台を見守る世界中の人間が思ってもいないはずだった。
 市ヶ谷が、あの市ヶ谷が、祝福の言葉を祐希子にかけようとしている、などとは。

(それでも、わたくしは……)

 ほんの一瞬、自嘲めいた笑みを唇の端に浮かべると、市ヶ谷は祐希子の自分の想い人のもとへと、歩を進めた。



 話は、一時間近く前に遡る。
 舞台はニューヨークが誇る『格闘技の殿堂』、MSGマディソン・スクエア・ガーデン。
 数多の伝説を生み出し見届けてきたこの地で開催されている一大イベントこそが、『アテナクラウン・V1サバイバル』。 世界の最高峰・IWWF王座を賭けて世界最高の実力者たちがしのぎを削る女子プロレス史上最高の祭典は、今日まさにクライマックス中のクライマックス、IWWF世界ヘビー級王座戦を迎えようとしていた。

「……で、そんな試合の直前に、あなたはなんで壁に向かってうずくまってるのよ」

 内心でデジャヴを感じながら糾弾に近い質問を発したのは、南利美だった。
 南は日本人選手三人のうちの一人としてこの大会にも参加。 王座戦を賭けたリーグ突破こそならなかったが、試合で披露した関節の妙技は既に芸術の域に達しており、本場アメリカの玄人はだしなファンたちにも強烈なインパクトを残している。

「まあ、結局は私も負けたわけだから、あまり偉そうなことは言えないけど……」

 反対側の壁際で膝を抱えて動かない背中に飽きたのか、南は首を巡らせて、もたれかかった窓の向こうに目をやった。
 VIPルームから見下ろすリングは白く輝いているが、今は誰の姿も見えない。
 前座のエキシビションマッチが終わり、残すはいよいよメインイベントの王座戦。 もうじき始まる選手入場、そして試合を、超満員の観衆は今か今かと待ちわびていた。
 見事リーグ戦を制した挑戦者・マイティ祐希子と、IWWF世界王者・ダークスターカオスによる、世紀の一大決戦を。

「あなたの場合、あのリングに立つチャンスは充分にあったはずよね。 いいえ、そもそもあの場所に立たずに事をすませるチャンスだって充分にあったはずよ」

 視線を正面に戻すとともに寄りかかった窓から身を離して、南は腰に手を当てた。 特大の溜め息を吐き出してから、丸まったままいじけているらしい背中に言い放つ。

「そうでしょ? “前”・IWWF世界ヘビー級王者、ビューティ市ヶ谷さん?」


 話をさらに遡らせること約三ヶ月。
 祐希子や南の文字通り眼前で IWWF世界ヘビーのベルトを奪い取り日本人初の世界王者に輝いたビューティ市ヶ谷は、当然のごとく即時挑戦を要求してきた祐希子に対し、

「どこぞのズン胴田舎娘には、一万年かかってもこの世界のベルトを巻くのは無理でしょうけど、太平洋のような広い心を持つこのわたくし、あなた方にチャンスを差し上げようと思いますの」

 と、余計な前置きをつけてから、

「今度日本で開催される EXタッグトーナメント。この大会でわたくしに万が一にも勝つことができましたら、このベルトに挑戦させてあげてもよろしくてよ。 ま、億が一にもそんな可能性はないでしょうけれどね。 オーッホッホッホ!!」

 という条件を提示して、言わば対戦を先送りにしたのだった。
 これに驚いたのは南だ。

「どうしたのよ、市ヶ谷? あなたの計画は、自らが世界王者となって愛しい祐希子の前に立ち塞がることでしょう? 祐希子の敵愾心も闘志も最高潮で、今はもうあなたとそのベルトしか見えてない状態。 『ジャイア○効果』を狙うには絶好の機会じゃないの。 それをどうして……」

「障害があればあるほど愛は燃え上がる、と言いますでしょう?」

 ひと気のない廊下で詰め寄った南に、市ヶ谷は平然と答えを返した。

「ここでわたくしが勝負を受けてしまっては、あっさりしすぎて面白くないというもの。 さらなる困難・試練を祐希子に与えて、それを乗り越えてきたところを美味しくいただく……ではなくて迎え討つ方が、気持ちもシチュエーションも盛り上がること請け合いですわ。 さしずめ焦らしのテクニックといったところですわね」

「焦らしのテクニック……って、あなたね」

 いったいどこの浅薄な恋愛マニュアル読んだのよ、という内心の突っ込みは溜め息に乗せるだけにとどめて、南は言った。

「大間違いだとは言わないけど……やりすぎてトンビに油揚げさらわれないよう注意なさいね。 あなた、すぐ調子に乗りすぎて失敗するから。 EXタッグには国内外の実力者が勢揃いするわけだし、あなたや祐希子だって油断してると足元すくわれるわよ?」

「実力者……と言われましてもねぇ。 南さんは不参加なのでしょう?」

「ええ、今回はね。 あなたと組むわけにもいかないし」

「なら、心配ご無用ですわよ」

 市ヶ谷は、にぃっと笑った。

「今回は理沙子さんも不参加のご予定。 他団体の選手などたかが知れてますし、来日予定の外国人も無名や中堅どころばかり。 実力者勢揃いなどと名ばかりで、事実上はわたくしと祐希子の一騎討ちが確定の出来レースですわ。 今は、わたくしのパートナーを誰にしておこうか、それだけが悩みの種ですのよ。 ほど良く弱い御方にしなければ、祐希子と来島さんがわたくしのチームに負けてしまいますものね? オーッホッホッホッホ!」

「……はいはい。 言ってなさいって」

 呆れ果ててその場を引き下がった南だが、今回は市ヶ谷の言う通りになるだろうと思っていたことも事実だった。
 ダダーンやチョチョカラスなど海外トップレスラーが出るわけでもない大会で、今の市ヶ谷や祐希子が不覚を取ることはないだろうと。


 だからそれは、彼女にも意外なことだった。
 市ヶ谷が、EXタッグの緒戦でアメリカから来た無名のマスクウーマン、ダークスターカオスに自慢のパワーで圧倒され、完璧なフォール負けを喫したことは。
 この世界は広く、そして深い祐希子や市ヶ谷のすぐ後ろを歩み、すでに世界の高みを知った気でいた南にとっても、それは身を震わせるほどの衝撃だった。


「あの時は、正直……驚いたわ。 ただ、もっと驚いたのはその後のあなたの行動だけどね、市ヶ谷」

 と呼びかけながら、回想から戻った南の視線は、市ヶ谷の背中ではなく分厚いガラス越しのアリーナに注がれていた。
 祐希子の、そして王者・カオスの入場まで、おそらくはあと数分。

「そのままにしておけば、祐希子と来島がカオスのチームを倒して優勝する可能性も充分にあった。 なのに、逆上したあなたはその場でカオスに喧嘩を売っちゃって、よりにもよって大切な IWWFのタイトルを賭けるなんて宣言。 おかげで伝統ある EXタッグは中止に追い込まれ、その上あなたは

 南が視線を市ヶ谷に戻すのと、市ヶ谷の肩がわずかに震えたのは同時だった。 その反応を見て、南は滔々と語っていた言葉をそこで打ち切った。
 “前”・IWWF世界ヘビー級王者、ビューティ市ヶ谷。
 その肩書きが、ひと月前に行なわれたタイトルマッチの結果を物語っていた。
 そのまま二人の沈黙が続きそれは、第三者の声で唐突に破られた。

「なにやってんだい、南? あんたもリングサイドで応援する組だろ?」

 開かれたままのドアから、ひょいと覗いた顔を見て、南は半ば反射的に相手の名を呼んだ。

「上原さん」

「へえ……ここの VIPルームってこうなってるんだ。 思ってたよりも豪勢だね。 住む世界が違うってとこだねえ」

 物珍しげに部屋に入ってきた太い眉の女性は、長らく行方不明となっていた先輩、ブレード上原だった。
 親友・理沙子と決別する形で新女を離脱してからの彼女は、単身メキシコでエム・サンドとしてマスクを被り、AAC王者として祐希子を迎え撃ってもいる。 祐希子に敗れて正体を明かした後も新女に復帰こそしていないが、ここアメリカの地で祐希子たち新女のメンバーと合流。 同行していた理沙子とも和解し、すっかり旧交を温めていた。
 そのためか、あるいはこれから始まる試合への期待感からか。 見るからに上機嫌な上原は、一通り室内を見渡してからようやく、部屋の隅で膝を抱える市ヶ谷に目を留めた。

「……で、私たちまで顔パスにしてくれた超・VIPなお嬢様は、まだ負けを引きずってるのかい?」

 苦笑しながらの言葉は、入ってきた自分を見もしない市ヶ谷でなく、むしろ南に向けたものだった。
 それに気付き、しかし咄嗟に返事の出ない南を待たず、

「まあねえ。 あんだけ大口叩いておきながら、カオスにあっさりベルト奪られて、この大会でもリベンジできずに負けちゃって。 それでも他で全勝できれば良かったってのに、最終戦でよりにもよって祐希子相手にフルタイムドロー。 勝ち点 1差で祐希子に決勝進出の座を渡しちゃったとなれば……ま、自業自得だしね。 落ち込んで当然、むしろこの機会に前非を悔いて反省しろってとこじゃない?」

 と、上原が明るい声で言い放ったのに対し、

「あ、あの、上原さん。 さすがにそれは……」

 南は少し顔を引きつらせながら、取りなすように言った。
 自分も市ヶ谷には相当キツいことを言っていたはずだが、他人から耳にするというのは、また違うのかもしれない。

「それに……」

「ん?」

「市ヶ谷の場合、ただ負けたことだけが理由じゃないんです。 ……多分、ですけど」

「……ふうん?」

 言葉を濁すような南の物言いに、上原は首を傾げた。
 しかしそれも一瞬。 上原は苦笑というよりもニヤニヤ笑いという表現がぴったりな笑顔を浮かべて、南の傍まで足を進めた。 そのまま肩に手を回して耳元に顔を寄せると、相変わらずうずくまったままの市ヶ谷の背を見ながら、南にささやいた。

「ま、わかるよ。 アレだろ? ……大変なんだよな。 片想いってのは、さ」

「……!!」

 南が弾かれたように上原を見た時、当の上原はもう南から離れ、笑いながら身を翻していた。

「じゃね、南。 私は先に行ってるよ。 あんまり遅いと理沙子の奴が心配するから、早く来るよーに」

 軽く挙げてひらひらと動かした手を最後に見せて、上原は軽い足取りでドアをくぐっていった。
 残された南は、苦虫を噛み潰した顔で上原が消えていった出口をしばらく眺めていたが、

「まったく……。 自分が理沙子さんとよりを戻せたからって……」

 ひとりごちると、大きく息を吐いた。 それから、横目で市ヶ谷を見た。

「それじゃあ、私も行くことにするわ。 あなたはこの部屋に残るのね?」

 問いの形こそ取ってはいたが、もとより南は回答など期待してはいない。 それでも数秒だけ待って、もたれかかっていた窓から背を離す。
 大音量の音楽と歓声が会場から湧きあがったのは、その時だった。
 顔だけ振り向いた南の眼下で、多数のスポットライトが踊るようにアリーナ中を舐め、彼女には聞きなれた音楽が小気味よいリズムを刻んでいく。
 挑戦者・マイティ祐希子の入場曲ついに、IWWF世界王座戦がその幕を開けるのだ。

「いよいよね、祐希子……」

 すぐに花道に現れるだろう仲間の姿は待たず、南は顔を戻すと再び歩き始めた。
 足早に部屋を横切る南が背後を過ぎ去っても、市ヶ谷は何の反応も示さなかった。 しかし、そのまま部屋を出ていくはずの足音が出口のわずか手前で止まったことを知り、うつむいたままの顔が微かに上がった。

「最後にこれだけ言っておくわ、市ヶ谷」

 窓の向こうからは一際の大歓声。 これまでの戦いぶりでアウェーの観客をもすっかり魅了した祐希子が、その姿を超満員の観衆の前に現わしたのだ。

「例の『劇場版ジャ○アン効果』ね、まだ望みはあるわよ。 最高の、そして極めて簡単な方法が残ってる。 ……あなたには、難しい方法かもしれないけど」

 歓声と音楽の中、市ヶ谷の耳に声が届いているのかわからない。 耳には届いているとして、市ヶ谷の心がそれを聞いているかもわからない。 それでも南は、言葉を続けた。

「祐希子はきっと、もうすぐ世界の頂点に立つわ。 その時、彼女を心から祝福し、あなたの素直な想いを伝える……やるべきことは、ただそれだけよ。 ただそれだけのことが、あなたにできるなら、ね」

 言い終えると同時に、南の足音は再開した。
 今度こそ途切れることなく出口を通り抜けて、部屋から遠ざかっていく。 これまで苦楽を共にしてきた仲間の闘いを、目の前で見届けるために。

「…………そんなこと……」

 残された部屋で、ようやく部屋の主が空気を震わせたのは、足音が聞こえなくなってから、さらにかなりの時が過ぎてからだった。

「そんなこと、わたくしに……今さら、できるわけが……」

 再び、市ヶ谷の顔は、抱えた膝の中にうずめられる。
 そのまままた長い沈黙の奥底へと消えていくはずの想いは、しかし突如として跳ね上がった。
 今の市ヶ谷にも、聞こえたのだ。
 死闘の幕開けを告げる、ゴングの音が。

「祐希子……っ!」

 よろめきながらも立ち上がり、駆け寄った窓に貼り付く勢いで、煌々と白く輝くリングを見下ろす。
 祐希子は、最初から全開だった。
 予戦リーグの対戦では、からくもという形容が似つかわしい、苦戦の末のドロー止まり。 市ヶ谷をも凌駕するパワーと必殺の破壊力を持った王者・ダークスターカオスの強さを充分に認めた上で、祐希子は小手先の対策ではなく、自らのスピードやテクニックを活かした上での真っ向勝負の道を選んだのだろう。
 『圧倒的なパワーの前では、いかなるスピードもテクニックもその全てが無意味』市ヶ谷の持論に照らし合わせれば、祐希子の戦い方は無謀極まりない自殺行為でしかない。
 しかし市ヶ谷は、祐希子の選択を笑う気にも嘆く気にもならなかった。
 今、世界の頂点を懸けて闘っている祐希子の、躍動感と自信に溢れた輝く笑顔を目の当たりにして、彼女の胸中には、ただ一つの気持ちしか湧きあがって来なかったのだ。

「…………頑張って……」

 勝手に口を衝いて出たその言葉に、自分で驚いたのも、一瞬。

「頑張るのよ、祐希子……! 頑張って……頑張りなさい、祐希子! 頑張って!!」

 厚いガラス窓に、今まで口に出せなかった全ての想いをぶつけるかのように。
 市ヶ谷は、次々と溢れ出る感情を、ただひたすらに叫び続けていた。


第四章へ


まあ、あの。『異聞』ですから。(前回も書いた)

次回で終わります。



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