スタッフの声が飛び交う撮影スタジオ。
普段の“仕事場”と同じようにライトに照らされながらも全く異なる空気に満ちた、広くて白い部屋。
そんなスタジオの片隅で、桜井千里は苛立たしげにひとつ溜息をついた。
「こんなところで、私にいったい何を……」
腕組みをして壁に寄せている身体は見事なまでに均整が取れ、凛々しい顔立ちと相まって、撮影に来たモデルや女優とも見紛われる。
しかし、周囲に漂わせる殺気にも似た雰囲気と、何より少し離れた撮影現場を見つめる侮蔑にも近い冷ややかな眼差しが、彼女がこの場とは明らかに異質な存在であることを示していた。
「こんなところで、私にいったい何を見せたいんですか? 社長」
先ほどの溜息に続く言葉を視線とともに向けられた傍らの男性は、苦笑いを頬に刻みながら前方で行なわれているCM撮影の中心を指差した。
その対象を正確に追った千里の口からは、我知らずもう一度溜息が漏れる。
「……ですから。藤島を見てどうしろというんですか?」
視線の先、コマーシャルする商品を手に笑顔を振りまいている少女は、藤島瞳。千里の後輩にあたるレスラーで、今の団体では旗揚げ時からの付き合いだ。
但し、千里にとってあまり仲の良い相手とはいえない。
ひたむきにただ強さだけを求め、それが団体のためにもなると信じる千里にとって、強さは二の次三の次で人気優先・コスチューム重視のアイドルレスラーとして振舞う瞳は、いわば理解できない存在。いや、正直なところ理解したいとも思わない存在であった。
「こんなものに付き合っている暇があったら、練習で汗を流したいのですが……」
後輩の仕事を『こんなもの』と言い切る千里に苦笑を深めつつ、男──彼女らの所属する団体の社長は、瞳は瞳なりに一所懸命にこういうアイドルとしての仕事も頑張っているのだ、と諭すような口調で千里に説く。しかしそう聞いたところで、
「それは当然でしょう。自分を売り込みたいわけですから」
と、にべも無く切り捨てた千里は、もう一度溜息をついて壁から背を離した。
「戻ります。失礼」
社長に対する礼儀としては最低限の一言だけを残して、千里はドアへと向かう。小さく呼び止める男の声も無視して扉のレバーに手を掛け──その手がふいに止まった。
『私だけで、うちのプロレスを決め付けないでください!』
瞳の大声。その声量よりも、言葉の内容と何より込められた真剣さに、千里は足を止めて肩越しに振り返った。
『お遊びじゃないですっ。うちはみんな真剣で、すごく強い人だっているんです。私目当てじゃなくていいからプロレスを見に来てください!』
撮影の合間の雑談だったのだろう。会話の経緯まではわからなかったが、瞳の剣幕にスーツ姿の男──スポンサー会社の人間のようだ──が気圧されているのを見ると、彼が口を滑らせて何か馬鹿にするようなことを言ったのかもしれない。それも、瞳をではなく、団体とそのプロレスのことを。
『来ないと許しませんから。絶対ですよ? ……あっ、もちろん応援するのは私の試合だけでいいですけどねっ♪』
剣呑になりかけた撮影現場は、しかし、瞳自身が絶妙なタイミングで茶目っ気を見せて笑顔と冗談に紛れさせたことで、和んだ雰囲気へと戻った。詫びる男にはちゃっかりと来場を約束させ、その代わりにとどこから出したのか興行の割引券を配っている姿は、どこか手馴れたものを千里に感じさせた。
「…………」
呆気に取られたのか、無言のままドアの前に佇む千里の肩に、歩み寄った社長の手が軽く乗せられた。
そのまま彼が千里に話したところによれば、団体がこれまでに結んだ地元CATVとの放送契約やスポンサー契約のいくつかが、瞳のアイドル活動をきっかけとしているのだという。そして、彼女の地道な営業活動がなければ、いずれも成約にまで漕ぎつけなかったかもしれないとも。
──あいつは、あいつなりに考えてるんだよ。レスラーとしての自分を。
そう告げた男が、だからお前もあいつのことを……と続けようとしたところで、千里は肩に置かれた手を振り払うように身を翻し、先ほど開けそびれた扉に手をかけると一気に引いた。
「……やっぱり、彼女のことは理解できません」
さすがに焦った男の呼びかけに、千里は背を向けたまま応えた。その声は相変わらず冷たい。
「ですが……」
千里はもう一度、肩越しに振り返った。
ライトの熱気と人いきれの中、涼しげな笑顔で撮影を続ける瞳。気合いで止めているのかその顔には汗ひとつかいていないが、トレードマークの西陣織の衣装から出ている手や足には無数の汗の玉が光っていた。
「……ですが、彼女の流す汗だけは、少し理解できた気がします……」
……その後しばらく、千里は瞳を練習相手に指名し続けた。
そのスパルタぶりに瞳は何か怒らせるようなことをしたのかと思い悩むが、思い当たることがあまりに多すぎて反省も出来ず、ただひたすら我が身の不幸を呪うことになったという……。
|