《──さあ、スレイヤーのリングで開催されるのは、実に一年と三ヶ月ぶりになります、EWA認定世界王座選手権!
サンダー龍子の返上後、巡り巡って WRERAの結城千種の手に渡ったベルトを今宵狙うは、元王者でもある石川涼美!
交流戦では村上千秋に不覚を取った石川ですが、それだけに今日は背水の決意でリングに上がります!》
「背水の決意……まさにそう思って試合してもらわなければね。
ここで無冠となれば、立場的にも難しくなるわよ。 ねぇ、石川さん?」
会場の VIPルーム。
全面ガラス窓の前で腕を組み、文字通りにリングを見下ろす井上の目は冷ややかだった。
その斜め後ろでは、こちらはソファに収まってモニタを注視するスレイヤー・レスリング社長が、皮肉めいた笑みを浮かべている。
「…… 8月の交流戦はまさかの 5敗1分け。 通算でも4勝7敗1分けに終わる、か。
どうやら我々よりも WRERAの方が選手層は厚いと見えるな。 井上くん」 *1b
「失礼ながら、社長。 たかが一度ずつの勝負による結論付けは短絡すぎますわ。
むしろ私は、交流戦以外の試合、特にタイトルマッチの結果を重視しております」
「ふむ。 だからこそ、この二人が……そういうわけかね?」
社長が傍のテーブルに目を落とす。
そこには RIKKAと石川、二人の写真が厚い報告書にクリップされて置かれていた。
7月には、RIKKAが永沢の持つ JSW王座に挑んで、意外なほどの完敗。
今月は、石川が真田のアジアヘビーに挑んで、これも敗北。
これだけであればさほど騒ぐ話でもないが、二人が守っていた WWPAタッグのベルトを、ここへ来て真田と桜崎に奪われてしまったのはまずかっただろう。
GWAタッグ王者でもある真田と桜崎がその評価を高める反面、RIKKAと石川はこのタイミングで無冠の身になってしまったのである。 *2b
「もちろん、タイトルの有無だけで判断するのも短絡的とは存じております。
ですが、年齢や戦績、年棒や貢献度など──平たく言えばコストパフォーマンスですわね。
それらを総合的に判断すると、今のところはこの二人が有力候補というわけです」
「それはわかった。 だが、これは人と人の話──心情や関係性も絡み、失敗すれば取り返しのつかん複雑な話だ。 くれぐれも慎重に頼むよ」
はい、と井上が答えたところで、長い金属音とともに会場のボリュームが上がった。
結城千種と石川涼美の EWA認定世界王座選手権。 その試合が始まったのだ。
「お姉さんの意地は、普通の意地とは一味違うんですよ〜!」
攻勢に出たのは石川だった。
社長や井上の動きを、おそらく彼女は知りも意識もしていないだろう。
だが、一人のレスラーとして、そして思い出深い EWAのベルトが懸かっていることもあって、負けるわけにいかないと思うのは当然のことだった。
ショルダータックルやラリアット、得意としているパワー系の技で、7つも年が離れた現王者を攻めこんでいく。
「うわぁ、マズいよおっ。 マズいのはわかってるんだけど……!」
なかなか反撃の糸口が見つからない千種。
こちらも得意の投げ技で応戦したいところだが、石川はあからさまに投げを警戒していた。
それは半ばフェイクだったが、まだ経験の浅い千種では“名参謀”石川の智略は見抜けない。 強引に狙う飛びヒザもことごとく返され、自分のダメージだけを蓄積させてしまう。
「このまま行けば……もう一回、あのベルトを巻けます!」
石川が勝負に出る。
大技を狙って隙が出来た分だけ千種の技も受けてしまうが、それでも強引に伸ばした右手が、ついに千種の細い首を掴んだ。
「お姉さんパワー、受けてみなさいっ!」
のど輪落としがマットを揺るがし、千種の呼吸が一瞬停止する。
そのまま攻撃を緩めずに放ったパイルドライバーで、2.5まで入るカウント。
もはや立ち上がることもできそうにない千種をさらに引き起こして投げようとし──その腰にがっちりと腕が回された。
「しまっ……」
「ここで狙うのはただ一つ! 逆転満塁ホームランです!」
あらゆる切り返しを許さない芸術的なバックドロップが、石川の積み上げてきた策と勝利への礎を粉々に打ち砕いた。 *3b
27分14秒、ローリングクレイドルでの決着まではそれから 2分を要したが、その間、石川の反撃らしい反撃が見られることはなかったのである。
「力を出し切れて楽しかったです。 またやりましょうね!」
清々しい笑顔で差し出された王者の手を、石川がこちらも笑顔で握り返す。
夜空に響き渡る万雷の拍手。
その中で再開された井上と社長の会話の内容を知ることができた者は、一人もいなかった。
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