「へぇ。千秋ったらけっこうおっきく取り上げられてんじゃないの。
ま、ジュニアじゃ久々の新チャンピオン誕生だから当然っちゃ当然かな?」
2月、札幌。
WRERAのマイティ祐希子は、行きつけのカレー屋で料理待ちの時間つぶしにと広げたスポーツ紙の記事に目を細めた。 *1a
ワールド女子に単月参戦中の後輩・村上千秋が果たした WWPAジュニア王座奪取の報。
WRERAではテディキャット堀の厚い壁を越えられずにいる千秋だが、昨日の試合では王者ディアナ・ライアルを相手に力の違いを感じさせる勝ち方を見せ、自身初のベルトを手に入れたのだった。 *2a
「やっぱ、スレイヤーにいる双子のお姉さんのタッグタイトル獲得が刺激になったのかもね。
あの性格だから、千秋本人は認めないだろうけど……っと、来た来た。待ってたわよん!」 *3a
祐希子が待っていた相手は、人ではなくこの店自慢のカレーライスだ。
だが、まるで彼女の声に合わせたかのように小さなチャイムとともにお店のドアが開くと、入ってきた人影が一つ、迷うことなく祐希子の元へと向かってきた。
「あれ、霧子さん? ……じゃないわね。 すっごく似てるけど、どこか違う。
はじめまして……じゃなかったらごめんなさい。
あたしに何か用でしょうか?」
「はじめまして、で合っていますよ。 祐希子さん」
祐希子の前で立ちどまった女性はそう言うと、よく手入れされた指を差し出し、その間に挟んだ名刺をテーブルに置いた。
──スレイヤー・レスリング・カンパニー社長室、井上霧子。
祐希子が良く知る「秘書の霧子さん」と同姓同名の上に顔までそっくりな女性は、これも霧子と酷似したにこやかな笑顔で祐希子に突然の会談を要請した。
「今日は、折り入ってあなたにお話ししたくて、神戸から飛んできたの。
こんな場所で恐縮だけど、よろしいかしら?」
どうしてこの場所がわかったんだろうとか、
最近はカレー屋で大事な話をされることが多いわねとか、
冷めると嫌だからまずはカレー食べたいんだけどとか、
そんなことをぐるぐると頭の中で回しながら、祐希子はとりあえず頷いた。
井上の話は経緯説明を含めて三十分に及んだが、端的に言えば以下のような話になる。
「ウチの市ヶ谷と桜井ちゃんが龍子たちから奪った NA世界タッグベルト。
スレイヤーさんはあれをどうにか奪還したくて、なりふり構ってられない、と。
で、一応仮にも最強なんて言われてるあたしを龍子と組ませて奪わせよう。
そうすれば、団体も違う二人がタッグ組み続けるのは無理だから、そのうち返上して団体にベルトが戻ってめでたし……ってとこですか?」
「そ、そうね。 おおむねそんなところかしら」
井上の笑顔が引きつり気味なのは、祐希子の表現があからさま過ぎたから、ではない。
軽い気持ちでここの支払いは自分が、と言ってしまったものの、すでに 20皿のカレーを平らげられさらに現在進行形。 さすがに経費請求が通るか心配になってきたからだった。
「龍子さんは先月 GWA王座戦で王者の鏡さんに負けて、少し評価を落としてしまったけど。
それでもなお、スレイヤーでは最強、あなたに肩を並べる数少ない選手だと思っています。
タッグパートナーとして決して不足は無いのではないかしら?」 *4a
「龍子とのタッグかぁ。 一回やってみたかったのよね。
恵理の了解は取らなきゃいけないけど、たぶんオッケーですよ。
でも……龍子の奴、井上さんにこんなこと言ったりしませんでした?」
「? どんなこと?」
「──『シングルで強い二人を組ませたからって、タッグで強いとは限らない』、とか。
そんな感じのことを」 *5a
「…………そうね。 言っていたわ。
でも、現王者の二人こそ、シングルで強い二人が組んだだけという気もするのだけど?」
「あたしもそう思ってたんですけどね、恵理と組んで挑戦するまでは。
あの二人、得意不得意がうまく噛み合ってますし、桜井ちゃんのそっけなさが上手く市ヶ谷にブレーキかけてるのか、連携も驚くほどいいんですよね。
言っちゃいますけど、あたしと恵理でもダメな以上、今の世界中見渡してもあいつらに勝てるタッグは無いかもしんないですよ」
「……戦っても負けるだけ。 そう言いたいのかしら?」
「まさかぁ。 あたしは勝てないと思って試合することなんか無いですって。
あたしと龍子だって、やってみたらすっごく噛み合う可能性だってありますし。
ただ──失礼承知で言っちゃいますね。 龍子の奴、こうも言ってませんでした?」
「…………どんなこと?」
「『あんたたちはプロレスをわかっちゃいない』──とか、ね」 *6a
まぎれも無い“世界四強”がリングの上で一堂に会した、NA世界タッグ選手権。
記者会見なども無しに急遽発表された史上空前──あるいは空前絶後かもしれないこの豪華カードは、ファンやメディアに特大の驚きと、それを上回る熱狂を提供した。
「祐希子……あの井上さんにいろいろ言ってくれたらしいね。 ちょっと気が晴れたよ。
あんたも思うところはあるだろうけど、私はこの試合、勝ちたいと思ってる。
できればあんたにも協力してほし……きゃ、きゃああっ!?」
「あはは。 けっこー敏感で、可愛い声出すのねー、龍子?
そんな思いつめた顔、する必要ないわよん。
やるからには、どんな状況でも相手でも勝ってみせる──あたしはそうだし、多分あんたもそれが当たり前のことでしょ?」
龍子と祐希子の二人は、序盤から見事な戦いぶりを見せた。
早いタッチワークで標的を絞らせず、祐希子が千里、龍子が市ヶ谷と、それぞれが有利に戦いを進める。 祐希子の JOサイクロン、そして龍子のプラズマサンダーボムが決まった時には、多くの観客が挑戦者組、“無敵の女神”タッグの勝ちを予感した。
「ところが、そうはいきませんわよ!
あなたたちの動きは、もはや全て見切りましたわ!」
「それは大げさですが。 私と市ヶ谷さんには、タッグとして一日の長があります!」
千里が場外で炸裂させたハイキックが、試合の流れを変えた。
リターンと同時にタッチした市ヶ谷がビューティボムを龍子に食らわせ、さらにツープラトン技で畳み掛ける。
龍子も意地のプラズマサンダーボムで活路を見出そうとするが、タッチ後に分断されてしまったのがあまりに痛かった。
祐希子が赤コーナー付近でダブルパイルドライバー→ダブルパワーボム→ダブルインパクトと見事に繋げられ、市ヶ谷に先月のシングル王座戦での借りを返されてしまったのだった。
「……確かに強いね、あの二人は。
社長と井上さんも、次のベルト奪回策には苦労するだろうな。
あんたと私がもっとタッグ経験積めば……とは思うけど、そういうわけにもいかないしさ」
「ま、あたしもあんたも、お互いにタッグパートナーがいるからねぇ。
そもそも別団体だし、あたしは今の団体を出たりする気は無いし。
それとも、龍子がウチに来る? 歓迎するわよぉ」
「ははっ。 そいつも面白そうだけどね。
あいにく、私も今んとこ団体を離れる気はないんだ。 いろいろ問題があってもね……?」
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