「沖縄に戻って、小さなプロレス団体を作ってみたいんです。
理沙子のやつも引退しちゃって、いい頃合いですしね。
……社長、井上さん。 今度こそ、お別れです……」 *1b
時計の針を少し戻して、12月初旬。
ブレード上原は、コーチ契約の満了とともにスレイヤー・レスリングを去った。
「行ってしまいましたね、社長……。
上原さんのフロント入り、説得できずに申し訳ありませんでした」
「今回は仕方なかろう、井上くん。 彼女の意志が固かったよ。
だが、落ち込んでいる暇はない。 早速、“プランB”を実行に移すぞ」
「承知いたしました。 ですが……」
「なにかね。 問題でも?」
「いえ。 ただ少し考えただけですわ。
もしプランBのことを話していれば、上原さんは思いとどまったかもしれない、と」
自分と社長にしかわからない謎めいた言葉を社長に告げると、秘書の井上は薄く笑った。
それは社長にとって、この世の何よりも頼りになる、しかしどうしても好きにはなれない微笑みだった。
「自分が去ることで、愛した後輩たちがこれからどうなるかを知れば……ね」
そして、12月。 *2b
EXタッグリーグやバカンスなど全ての行事が終わり、年明け興行までの短い冬休みに入る直前のこと。
選手たち一同を集めて「重大発表」を行なった社長と秘書の井上は、上原の愛した後輩たちの息が意外なほどぴったり合っていることを、その場で知ることになった。
「「「「どういうことですかよなのスかだですのコラ!?」」」」
「……見事なハモり具合ね。 選手全員、仲の良いことで頼もしいわ」
にこりと優しい笑顔を見せる井上に、しかし選手の誰一人として笑みを返しはしなかった。
憮然。 あるいは理解不能。 あるいは呆然。 あるいは憤怒。 あるいは表面上無関心、とその表情は様々だが、十五人の選手全員が井上の「告知」に納得してはいないのだ。
「……ご主人様、奥様。
どういうことか、ちゃんとご説明いただけますか?」
皆を代表するかのように、一歩前に出たのはメイデン桜崎だった。
高校では生徒会長をしていただけあって、こういう場面では龍子や石川らよりも高いリーダーシップを発揮する。
「もう一度説明するわね。 私たちの団体は、非常に厳しい状況にあるの。
世界的な大不況・大恐慌は、この業界にも大きな影響を与えて──」
「うちの団体のお客さまは減っていませんわ!
先月だって全会場超満員だったじゃありませんか!」
気丈にも反論を割り込ませた桜崎だったが、その彼女も次の井上の一言には押し黙ることになってしまう。
「そうね。 でも、新女さんも先月まではそうだったはずよ?」
スポーツ紙の一面を衝撃的な文句が踊ったのは、つい先日のことだ。
「新女、事実上の倒産か」──。
参加した鏡や森嶋が感じていたように、今年の EXタッグリーグは興行としては大失敗。
NJWPジュニアベルトの創設やドーム会場の長期貸切などで借入金が膨れ上がっていたところに受けた大赤字は、健康そのものだったはずの新女に「残り三ヶ月」という余命を宣告する死神となったのである。 *3b
「あれを対岸の火事と笑ってはいられません。
何より大きいのは、今まさにこの団体を襲っているスキャンダル騒動よ。
鏡さんへの中傷は事実無根のでっちあげだけど、それで事が済まないのは上原さんの時に経験済み。 来月以降、私たちが苦しい運営を強いられることになるのは間違いないわね」
「……だから、リストラする。 そういうことかい?」
ここへ来て、ようやくサンダー龍子が口を開いた。
声音は静かだったが、眼光は鋭く、並の人間なら卒倒しかねないだろう。
その視線を微笑みのままで受け止めて、井上は龍子に、リストラではないわ、と語った。
「これも先ほど説明したけれど、今あなたたちをどうするという話ではないの。
ただ、設備投資の面でもコーチ不足の点でも、これ以上は選手の数を増やせない。
だけど新人を入れなければ、それこそ団体の未来が無いわ。
だから、査定の結果、新人と入れ替わりに雇用や専属の契約を解除し、フリーになってもらう人が出るかもしれない……それをリストラと言うなら、そうかもしれないけれどね?」 *4b
そこまで話して、井上は居並ぶ選手たちの顔を見渡した。
どの顔も納得はしていないが、それは計算の内だ。
そして、ここまで説明すれば表立っての反論が出ないことも、彼女の計算の内だった。
「──とは言え、今すぐの話ではないのよ。
来月の契約更改では、全員との契約をきちんと延長するつもりです。
だから、余計な心配はせず、安心してお正月を迎えてちょうだいね。
……それでは、皆さん。 良いお年を!」
無論、誰からも返事は無い。
それさえもまた、井上の計算の内だった。
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