「なあ、桜井。本当にいいのか? なにせ、相手が相手だ……片方を一月ずらすくらいは、調整するぞ?」
「問題ありません、社長。 ぜひこのままでお願いします」
7月は、WRERAの桜井千里にとって、激闘の月となった。 *1C
第五戦では、ビューティ市ヶ谷を挑戦者に迎えての IWWF世界ヘビー防衛戦。
最終第六戦では、王者・マイティ祐希子に挑む NA世界無差別級王座戦。
WRERAの誇る二大怪獣、もとい二大エースを相手にしてのタイトルマッチ二連戦には、社長ならずとも無謀との声が上がったが、結局は、千里自身の希望が決め手となって日程が決定したのだった。
「オーッホッホッホ! たったの半年足らずでタイトルを失うとは、あなたも不運ですわね? せめて来月に延ばして、一月なりと余命を楽しめば良かったものを!」
「一戦必勝……ただ、それだけです!」
千里 VS 市ヶ谷の IWWF世界ヘビー防衛戦。
実況席には、翌第六戦で千里を迎え撃つ、マイティ祐希子の姿があった。
「どっちが有利かって言ったら……やっぱり市ヶ谷でしょーね。 ムカツクけど、あいつ強いから」
アナウンサーの質問に答えた祐希子の言葉通り、市ヶ谷は強く、試合も市ヶ谷優位に進んでいった。
序盤にいきなり炸裂したビューティボムを皮切りに、ハンマーブローやジャンピングニー、バックフリップなどで攻め続け、千里にペースを握らせない。
千里も得意のハイキックをジャストミート。流れを引き寄せようとするが、市ヶ谷の強大なパワーと強気な性格がなかなかそれを許さない。
15分を経過する頃には、ようやく形勢を立て直した千里が互角の攻防に持ち込んだものの、互角止まりで勝てる状況と相手ではなかった。
「ここで焦っては、駄目だ……!」
「何をしたって無駄無駄無駄ですわ! 私が勝つ、それこそが大宇宙の摂理なのですから!」
耐えて突破口を見い出そうとする千里の希望を打ち砕く、市ヶ谷のサソリ固め。
千里は苦痛に顔を歪め、レフェリーのギブアップコールにも必死に首を振りながら、諦めずにロープを目指す。だが、それはあまりに遠すぎた。
「さっさとギブアップなさい! ……どう、祐希子? この私の強さは……っ!?」
──不意に、千里を締め上げる市ヶ谷の圧力が半減した。
実況席の祐希子が、試合もそっちのけで──実際にはちゃんと見ていたが、市ヶ谷の誤解も無理のないことに、なんとカレーを食べていたのである。
その事実も、それを見て呆然とした市ヶ谷の心境も知らず、ただ千里は九死に一生を得るべく前進し、サードロープを掴んだ。
奇跡に近いロープブレイク。 立ち上がった千里にも、もう後は無かった。 *2C
「全力を、出し切るのみ!」
ミドルキック、エクスプロイダー、そして不知火。
先ほどのショックが大きかったのか、全てを食らった市ヶ谷は、そのまま逆転の3カウントを聞く羽目になったのである。 *3C
「あらー……市ヶ谷の奴、あそこから負けちゃった。 意外に詰めが甘いわねぇ」
自分のせいとは露ほども思わずに、スプーンを口に入れたままの姿で祐希子は呟いた。
「でもま、桜井ちゃんも強くなったわ。 今度の試合で、いつかの約束を果たされちゃったりしないよう、あたしも頑張んないとね!」 *4C
それから数日。
最終第六戦でのマイティ祐希子 VS 桜井千里の NA王座戦は、互いに持ち味を出した熱戦の末、最後はノーザンライトスープレックスで、王者・祐希子が防衛回数を七に伸ばした。 *5C
この試合では、極めて珍しいことに、市ヶ谷が自ら志願して実況席に座り、なぜだか試合そっちのけで熱々のおでんを食べ続けていた。 *6C
ただ、その奇妙な行動が、試合の結果に全く影響しなかったことは確かである。
「ええい! 祐希子のくせに祐希子のくせに! 生意気なのですわ!!」
「わ、ちょっ、市ヶ谷! おでんの具を投げるのは止めなさい! もったいないでしょ!」
WRERAでは時おり見られる祐希子と市ヶ谷の場外乱闘も、この日ばかりはどこか微笑ましいものとなり、会場では最後まで笑いが絶えなかったという。
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