「──マイティ祐希子!!」
ドーム中を切り裂く大声が、市ヶ谷が今まさに出そうとした声だけでなく、リングにおける全ての動きを止めた。
予定調和の演出でないことを示すかのように、一拍置いて選手も放送席もスタッフたちも顔を見合わせ、こんな時はすぐに一箇所へと集まるはずのスポットライトも、声の主を探して露骨に右往左往している。
やがて一つのライトが、暗い花道の一本に立つ二つの影をかすめて照らすと、すぐさま他のライトを引き連れて戻ってきた。
眩い光が浮かび上がらせた二人を見て、リング上の千里と来島が、その名を口に乗せた。
「あれは……武藤と……」
「……千種か? あいつら、何を?」
武藤めぐみと、結城千種。
WRERAの次代を担うと噂される、親友タッグ。
その姿を認めた会場中がざわめき始める中で、二人はお互いを見つめて頷き合うと、めぐみの握っていたマイクを千種が受け取って、リングに向かって語り始めた。
「祐希子さん。
まずは、NA王座防衛、おめでとうございます。
ちょうど五年前から今まで、世界中のどんな相手からもベルトを守り続けてきたこと、素直に凄いって思います。
一人の後輩としては、うれしくて、誇らしいですよ」
千種の声は硬いが、落ち着いていた。
石川涼美の引退式、あの日の話から二ヶ月。
それだけの覚悟を持って、この日を迎えたのかもしれない。
「でも──私たち、このままじゃいけないって思ったんです。
いつまでもトップが代わらない世界も、そんなぬるま湯の中でしのぎを削ってるつもりの自分たちも、そして、過ぎ去っていく時にただ流されてることも……。
全部、変えなくちゃいけない。 そう思ったんです!」 *b1
「だから、私たちはあなたに牙を剥きます!」
マイクを受け取っためぐみが、千種の後を引き継いだ。
「世界を変えるには、世界の頂点をきわめなくちゃいけない。
その頂点こそ、あなたなんです。 祐希子さん!
そして、頂点の証ともいえる NA世界無差別級のベルト、それを私たちが奪ってみせます!
実力世界最強の女帝、無敵の女神──相手にとって不足はありません!」 *b2
それはまぎれもない、宣戦の布告だった。
武藤めぐみと結城千種。
二人に対する動揺と驚嘆、好感と反感。
それらが瞬く間に波を打って会場を埋め尽くし、加速的に増幅する中で──
「不足が無い──ねえ」
マイクも何も通していない、呟きにも近い声。
「それだけで済むと思ってんの?」
それなのにその声は、会場で成り行きを見守る全員の耳に届き、例外なく息を呑ませた。
マイティ祐希子の。 女神の、声。
「どうなの? めぐみ、千種。
この祐希子サマのこと、あんたたちはどーんなもんだと思ってんのかな?
その答え次第じゃ、あたしもちょっと考えがあるんだけど?」
「……祐希子さんの強さは、今日の試合を見ても、よくわかりました。
私たちに分があるなんて、思い上がってるわけじゃありません。
それでも私たちは、あなたを倒します。 そして超えてみせます!
どんなに難しくても、どんなに時間がかかっても、必ず!」
めぐみの凛とした決意を、どう受け止めたのか。
祐希子は、何も言わず、表情も変えずに二人を見つめていた。
その代わりに──などというつもりは全く無いだろうが、
「ちょーっとお待ちなさいな、そこの勘違いしまくりな小娘ども!!」
自分の出番を奪われた上に祐希子祐希子と連呼され、すっかり頭に血を上らせた市ヶ谷が、祐希子を押しのけるようにズカズカと前に出ると、ロープ際からマイクに吠えた。
「たまたま、まぐれで、奇跡的にベルトを守れているだけの祐希子をおだてて木に登らせるのも、そのくらいにしておくことですわ!
頂点を目指すというなら、この私、ビューティ市ヶ谷こそが頂点オブ頂点!
挑むべき相手を間違えているようでは、いつまでたっても……」
「もちろん、NAタッグ王者のお二人も同じです!」
めぐみのマイクに口を寄せた千種が、毅然とした声で割り込んだ。
普段はどちらかと言えば気弱な千種が見せた強い態度に、思わず市ヶ谷も声を止める。
「市ヶ谷さんと千里さんの強さは、半年前に私たち自身が思い知ってます。 *b3
だからこそ超えなくちゃいけない、それは祐希子さんと同じ……いえ、私たち二人にとってはそれ以上の存在ですよ!
実力最強タッグの証──お二人のベルトも標的ですから、そのつもりでお願いします!」
「……オ、オーッホッホッホ。
まあ、それなりには物事を理解していらっしゃるようですわね」
少し気圧されたのか、珍しく低めのトーンで、市ヶ谷は言葉を返した。
「けれど、それこそ身の程知らず、不可能への挑戦というもの。
私が率いる絶対無敵のタッグに勝とうなどという夢は、早めにひっこめた方がよろしいですわよ。 あなたもそう思うでしょう、千里さん。 ……千里さん?」
「……すみません、市ヶ谷さん」
振り向いた市ヶ谷の前で、背を向けた千里がゆっくりとリングを横切るように歩いていた。
その行動も謝罪の言葉も意味がわからずに呆然とした市ヶ谷と、
「NAタッグだけは、これからもお付き合いしますので。 ──祐希子さん」
名を呼ばれた祐希子が、市ヶ谷から見て奥、放送席側のロープまで辿り着いた千里を見つめた。
「私も、いつの間にか慣れていた……甘えていたようですね。
武藤と結城が、気付かせてくれました」 *b4
ロープをくぐってリングを出た千里が、エプロンから祐希子を振り返る。
「初めてあなたと出会った時の借り──今度こそ、返させてもらいます」 *b5
その言葉は、リングとその近くの一部の人間の耳にしか入らなかった。
それでも、ただならぬ、そして明らかな決別の雰囲気を感じて、会場と、めぐみと千種が、驚きの表情を浮かべる。
《さ、桜井もだ! これは、桜井千里の離脱宣言です!!》
かろうじて千里の声が届いていた放送席のリングアナが、ざわめく会場に状況を伝えようとして、ヘッドセットのマイクに向けて唾を飛ばした。
《武藤と結城による“最強世代”への宣戦に続き、その世代の一角、IWWF王者にして NAタッグ王者の桜井が、独立の旗を振ってマイティ祐希子の首獲りを表明し……うわぁっ!?》
「打倒・祐希子、か。 ……それなら私も、一口乗らせてもらわないとな」
突如アナウンサーのヘッドセットを奪い取って、大胆な言葉を告げた不敵な声。
ドームに満ちた全ての目が放送席に注がれ、その驚愕を代表するかのように、解説者が声の主の名を叫んだ。
《サンダー、龍子ぉっ!?》
「お邪魔するよ、WRERAのみんな。
今日はただの観客の一人。 後で控室にでも行って、この前の石川のお礼でもと思ってたんだけどさ。
……こういう話になっちゃあ、もう黙っていられなくってね」
龍子は、エプロンに立つ千里を見上げた。
無表情だが、少なくとも大歓迎とは見えない彼女の顔に、龍子が苦笑する。
「そんな顔するなよ、桜井。
別にあんたの手柄を横取りしようってんじゃないんだからさ。
ただ、一人よりは二人の方が何かと便利だろ?
同じ目的を持つもの同士、ちょっと手を組んでみるってのは……どうだい?」 *b6
「……わかりました。 とりあえずちょっと、ということでお願いします」
「決まりだね」
龍子の宣言に、またも会場が揺れた。
武藤めぐみ & 結城千種。
そして、桜井千里 & サンダー龍子。
この日、WRERAという地に、二つの勢力による叛旗が突如として翻されたのである。
そして、この二つを迎え撃つ正規軍、“最強世代”の代表は──
「………………」
「おーおー、市ヶ谷ったら、見事に固まっちゃって。
で、市ヶ谷。 あんたはどーすんのよ。
桜井ちゃんについてくの? それとも、もう一個勢力作って話をややこしくする?」
「こ、このビューティ市ヶ谷が、こうまでないがしろにされるとは思いませんでしたわ!
この団体を真に支える私に何の断りもなく、皆でこのような茶番劇を企むとは!
これは美しく強すぎる私への挑戦、いえ、ねたみ・そねみ・ひがみの表れですわね!」
「はいはい」
「ええい、こうなったらもう仕方ありませんわ!
最強世代の中の最強、頂点の中の頂点として、この私自らが、あの不届き者どもを迎え撃ってさしあげましてよ! その尖兵として、あなたにも働いてもらいますわよ、祐希子!」
「はいはい。 ……って、え?」
てきとーに流そうとして、祐希子は気付いた。
市ヶ谷が口走った言葉の意味に。
「えええええ!?
ちょ、ちょっと、市ヶ谷!?
あ、あんたが、あたしと組むってーの? 気は確かぁ!?」
「うるさいですわよ、尖兵! いえ、下っ端三等兵!
別にタッグを組もうというわけではありませんわ!
たまたま、まぐれで、奇跡的にあなたが持っているベルト。
それを手放せば、いつでも出て行ってもらって結構ですのよ!?」 *b7
「な、何をバカなこと言って……!?
ちょ、ちょっと恵理っ! そこで笑ってないで、あんたもなんか言ってやってよ!」
「いやあ。 いいんじゃね? お前ら、意外にお似合いかもよ。
ま、俺も三歩離れて付き合ってやっからさ。
頑張ろーぜ、祐希子?」
「え、恵理ぃっ!」
かくして。
WRERAを揺るがす三つ巴の抗争が、今ここに幕を開けたのであった。
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