スレイヤー・レスリングの旗揚げ成功が大々的に報じられた、7月。 *1
WRERA女子プロレスの社長秘書・霧子は、どうしてもその成功と、自分たちの置かれた立場とを比べずにはいられなかった。
「あ、社長。北条選手と小鳥遊選手との交渉はいかが……はい、はい。そうですか……」
携帯電話の向こうから社長が伝えてくる内容に、霧子の表情はみるみる曇っていく。 ロイヤル北条選手がワールド女子を、ガルム小鳥遊選手が日本海女子を選んだという話は、これで、名のあるフリー選手が国内には一人もいなくなったことを意味していた。 *2
「では、やはりアメリカに……はい。わかりました、こちらは任せてください。くれぐれも、お気をつけて……」
交渉が不首尾に終わった場合のシナリオ通り、社長は単身海外に飛び、海外団体や外国人選手との提携を取り付けることで、旗揚げに必要な選手を揃える予定だった。
もっとも、実績ある日本人レスラー無しでは、後が続かない。集客・営業・新人育成のいずれでも大きなハンデを背負うことになる。
それを知るからこそ、社長は、アメリカを主戦場とする“最後の大物日本人”・六角葉月の獲得交渉に全力を投じるつもりだったのだが……
「ともかく、旗揚げはまた先に延びそうね……」
「オーッホッホッホ! そのようなことは私が許しませんわ!」
「い、市ヶ谷さん! あなた、どうしてここに? 旗揚げまでは埼玉に残るって……!?」 *3
「愚問ですわね、霧子さん。社長がグズグズと私のデビューを延ばすものですから、私自らこの貧乏暇なし団体に救いの手を差し伸べんと、こーんな北の果てのド田舎まで来てさしあげたのですわ!」
「ド田舎って、札幌はさいたま市より人口多いわよ」 *4
「おだまり、祐希子っ!」
突然割り込んだ祐希子の茶々でしばらく話は中断したが、落ち着いたところで市ヶ谷は霧子たちに「救いの手」を披露した。
市ヶ谷の号令に応じて部屋に入ってきたのは、メキシコはAACの若手ルチャ・ドーラ 3名だった。 *5
「あ、あの、市ヶ谷さん? あなたまさか、AACと契約を!? AACのフロントは何て? ビザも大丈夫なの?」
「はあ? なんですの、それ? そういうややこしいことは会社の方でやっていただきたいですわね。私はただ、選手が足りないというから連れてきただけですわ」
「な……なんですってぇぇぇっ!?」
「オーッホッホッホッホ! 全ては私のグローバルなアイデアと、ワールドワイドな行動力の勝利! これで社長も、私に大感謝ですわね!」
その後。
飛び先を急遽メキシコへと変更した社長がAACに平謝りの上で提携契約を取り付けたことで、話は何とか誘拐事件にならずに済んだ。
準備不足ながら前倒しせざるを得なくなった旗揚げ興行も、満員とはいかなかったがかろうじて収支は黒字発進。 *6
ただし、帰国せずアメリカへと渡った社長は旗揚げに立ち会うことができず、一人異国で涙を流したという…… *7
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